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討論:原敬

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原敬VS北洋政府外交

原內閣の政策は、外交における対英米協調主義と內政における積極政策、それに統治機構內部への政黨の影響力拡大強化をその特徴とする。原は政権に就くと、直ちにそれまでの外交政策の転換を図った。まず、対華21ヶ條要求などで悪化していた中華民國との関係改善を通じて、英米との協調をも図ろうというものである。そこで、原は寺內內閣の援段政策(中國國內の軍閥・段祺瑞を援護する政策)を組閣後早々に打ち切った。

さらに、アメリカから提起されていた日本・アメリカ・イギリス・フランス4か國による新4國借款団(日本の支那への獨占的進出を抑制する対中國國際借款団)への加入を、対英米協調の観點から決定した。第一次世界大戦の後始末をするパリ講和會議が開かれたのも、原內閣の時代だった。この會議では、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンの提唱によって國際連盟の設置が決められ、日本は常任理事國となった。しかし、シベリア出兵についてはなかなか撤兵が進まず、結局撤兵を完了するのは、原沒後の大正11年(1922年)、加藤友三郎內閣時代のこととなった。