仁明天皇
第54代天皇 | ||
在位期間: 833年3月22日-850年5月4日(17年43天) | ||
前任:淳和天皇 | ||
繼任:文德天皇 | ||
時代 | 平安時代 | |
年號 | 天長 承和 嘉祥 | |
首都 | 京都 | |
皇居 | 平安宮 | |
別名 | 深草帝 | |
出生 | 弘仁元年九月廿四日 810年10月25日 | |
逝世 | 嘉祥三年三月廿一日 850年5月6日 (39歲) | |
陵墓 | 深草陵 | |
父親 | 嵯峨天皇 | |
母親 | 橘嘉智子 |
日語寫法 | |
---|---|
日語原文 | 仁明天皇 |
假名 | にんみょうてんのう |
平文式羅馬字 | Ninmyō Tennō |
仁明天皇(日語:仁明天皇/にんみょうてんのう Ninmyō Tennō;810年10月25日—850年3月21日),日本第54代天皇(833年3月22日—850年5月4日在位)。諱正良(日語:正良/まさら Masara),太上天皇嵯峨天皇第二子,上一任淳和天皇之侄,其母為內舎人橘清友之女、皇后橘嘉智子(檀林皇后)。
833年時,淳和天皇讓位給皇太子正良親王,是為仁明天皇。當初,仁明天皇立淳和天皇次子恆貞親王為皇太子。承和九年(842年)發生承和之變,恆貞親王被廢除,改立仁明天皇長子道康親王為皇太子。此事傳言為仁明天皇及其妻舅藤原良房之計謀使其子進位為皇太子(道康親王之母乃藤原良房之妹)。
嘉祥三年(850年)3月19日仁明天皇病重,遂讓位於皇太子是為文德天皇。同年3月21日仁明天皇駕崩。
系圖
(50)桓武天皇 | (51)平城天皇 | 高岳親王 | (在原)行平 | ||||||||||||||||||||||||||||
伊予親王 | 阿保親王 | (在原)業平 | |||||||||||||||||||||||||||||
萬多親王 | (54)仁明天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(52)嵯峨天皇 | 有智子內親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(源)信 〔嵯峨源氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||
(源)融 〔嵯峨源氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||
(源)潔姫 (藤原良房妻) | |||||||||||||||||||||||||||||||
(53)淳和天皇 | 恆貞親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
葛原親王 | (平)高棟 | 惟範 | |||||||||||||||||||||||||||||
高見王 | (平)高望〔桓武平氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(良岑)安世 | 遍昭 | 素性 | |||||||||||||||||||||||||||||
(54)仁明天皇 | (55)文德天皇 | (56)清和天皇 | (57)陽成天皇 | 元良親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟喬親王 | 貞純親王 | (源)經基〔清和源氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(58)光孝天皇 | (59)宇多天皇 | (60)醍醐天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人康親王 | 操子女王 (藤原基經妻) | 真寂法親王 (齊世親王) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
敦實親王 | (源)雅信〔宇多源氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
家族
- 皇女:
外部連結
前任: 淳和天皇 |
日本天皇 | 繼任: 文德天皇 |