安政南海地震
日期 | 1854年12月24日嘉永7年11月5日) | (
---|---|
发生时间 | 4:30 pm |
震级 | M8.4(8.5-8.7) |
震源深度 | 未知 |
震中 | 33°00′N 135°00′E / 33.0°N 135.0°E |
类型 | 1.海沟型地震 2.逆断层型 |
影响地区 | 日本:南海道、四国地方 |
海啸 | 超过10米 |
前震 | 前1天:1854年12月23日;地震震级是:8.4 |
余震 | 有 |
伤亡 | 罹难人数:1,000人到3,000人 |
安政南海地震是指江户时代的在1854年12月24日(嘉永7年11月5日[3])于当地时间在下午4点30分发生在日本的强烈地震。该次地震震央位于在南海道外海(33°00′N 135°00′E / 33.0°N 135.0°E),里氏震级是8.4[4](该次地震震级估计是8.5到8.7)。安政南海地震发生在安政东海地震(规模是8.4)之后32个小时[5][6]。这也是安政大地震之一。在地震摇晃之后数分钟,也引发了浪高超过10米的巨大海啸,袭击了部分海岸线地区。造成了大约有1,000人到3,000人罹难,超过有30,000栋建筑物被摧毁。
南海海槽地震
因为在日本列岛地区处于为欧亚大陆板块、北美洲板块、太平洋板块和菲律宾板块的交界处, 这也是环太平洋火山地震带的重要一环[7]。太平洋板块、北美洲板块和欧亚大陆板块、菲律宾板块在这个区域挤压碰撞[8],使日本整个列岛逐渐了从海底突起[9],在日本附近地区也形成了2,000多个活跃断层,整个附近的地区地震灾害也不断的频繁发生[10][11]。
安政南海地震是南海海槽特大地震之一,南海海沟特大地震是指出在南海海槽周期性很有可能会发生里氏震级8到9的强烈地震。在南海海槽是菲律宾海板块和欧亚大陆板块的边界(聚合板块边缘),这也是大地震频繁的隐没带之一[12]。在南海海槽与本州南部海岸线平行,这也显示了欧亚板块(阿穆尔板块)与菲律宾海板块发生了推挤。这2个板块互相推挤边界会导致了发生许多地震,但是其中一些属于为大型逆冲区地震[13][14]。调查指出原因是日本本州南方的南海海槽发生错动,结果导致了让菲律宾板块引没到欧亚板块下方而引发了海沟型地震[15]。
在南海海槽有5个不同的地区(相异且独立的破裂带),分别是A(土佐湾),B(纪伊水道),C(熊野滩),D(远州滩)与E(骏河湾)[16][17][18]。这5个相异且独立的破裂带在最近有1,300年(历史上最早的记录是在684年11月26日发生的白凤地震)这里的地区有数次发生了大型地震[19],周期大约是100年到150年之间。在南海地震与东南海地震经常会互相影响,例如在1946年昭和南海地震(破裂带为A与B)在1944年昭和东南海地震(破裂带为C与D)发生2年之后也出现,而1854年安政东海地震与安政南海地震也相差了32个小时[20][21]。
推定震度
地区 | 推定震度[1][2] |
---|---|
畿内 | 京都(4-5), 伏见(5), 宇治(5), 门真(5-6), 服部(6), 大坂(5-6), 布施(6), 堺(5), 岸和田(5-6), 奈良(5), 郡山(5), 五条(5), 尼崎(5-6), 西宫(5-6), 神戸(5) |
东海道 (宿场町) | 江戸(e) - 品川 - 川崎 - 神奈川 - 程ヶ谷 - 戸冢 - 藤沢(E) - 平冢 - 大矶 - 小田原 - 箱根 - 三岛 - 沼津 - 原 - 吉原 - 蒲原 - 由比 - 兴津 - 江尻(E) - 府中 - 鞠子 - 冈部 - 藤枝 - 岛田 - 金谷 - 日坂 - 挂川(4-5) - 袋井(4-5) - 见附 - 浜松 - 舞阪 - 新居(E) - 白须贺 - 二川 - 吉田(E) - 御油 - 赤坂 - 藤川 - 冈崎 - 池鲤鲋 - 鸣海 - 宫 - 桑名(4-5) - 四日市(5-6) - 石薬师 - 庄野 - 亀山 - 関 - 坂下 - 土山 - 水口 - 石部 - 草津 - 大津(S) - 京都(4-5) |
东海道 | 铫子(E), 熊谷(M), 习志野(e), 塩山(e), 甲府(4-5), 相良(4-5), 西尾(E), 田原(e), 名古屋(4-5), 津(5), 久居(E) |
东山道 | 真冈(e), 中之条(e), 诹访(E), 驹ヶ根(e), 饭田(E), 福岛(E), 中津川(E), 大井(E), 高山(e), 大垣(5), 垂井(5), 上石津(5), 彦根(S) |
北陆道 | 分水(e), 柏崎(e), 高冈(E), 冰见(M), 金沢(4), 大野(E), 福井(5), 鲭江(E), 小浜(4-5) |
山阴道 | 亀山(4), 园部(4-5), 篠山(4), 宫津(E), 出石(E), 豊冈(5), 生野(e), 鸟取(5), 境港(5), 松江(5), 广瀬(5), 大社(5-6), 益田(4-5), 萩(5), 长门(4) |
山阳道 | 明石(5-6), 加古川(6), 姫路(5), 龙野(5-6), 网干(6), 赤穂(5-6), 津山(4-5), 胜山(e), 冈山(5), 児岛(5), 仓敷(5), 三次(5), 福山(5-6), 鞆(5), 尾道(5), 三原(5), 竹原(5-6), 呉(5), 广岛(5), 岩国(5), 下松(5), 山口(4) |
南海道 | 新宫(6-7), 胜浦(6), 古座(5-6), 串本(5-6), 白滨(5), 田边(6), 广(5-6), 和歌山(5-6), 洲本(5-6), 鸣门(6), 徳岛(6), 由岐(5-6), 日和佐(6), 浅川(6), 海阳町鞆浦(6), 宍喰(6), 祖谷山(5), 津田(5), 高松(6), 坂出(5-6), 丸亀(5-6), 多度津(5-6), 善通寺(5), 琴平(4-5), 川之江(5), 多喜滨(5), 西条(5-6), 小松(5-6), 今治(5), 松山(5), 大洲(5), 吉田(5-6), 宇和岛(5-6), 甲浦(5-6), 野根(6), 室津(5-6), 夜须川(6), 赤冈(6), 长冈郡后免(5-6), 高知(5-6), 吾川郡浦戸(6), 佐川(5-6), 高冈郡宇佐(6), 须崎(6), 高冈郡上ノ加江(5-6), 洼川(5-6), 梼原(5), 幡多郡入野(6), 中村(6-7), 中浜(6), 柏岛(6), 宿毛(6) |
西海道 | 小仓(5), 博多(e), 対马(e), 大宰府(e), 久留米(4), 佐贺(4-5), 谏早(e), 柳川(E), 熊本(5), 八代(5), 人吉(5-6), 森(4), 中津(4-5), 杵筑(5), 日出(5), 别府(5-6), 冈(5), 大分(5-6), 臼杵(5-6), 佐伯(5), 高千穂(5), 延冈(5), 高锅(5), 佐土原(5) |
S: 强地震(≧4), E: 大地震(≧4), M: 中地震(2-3), e: 地震(≦3) |
余震
月 | 高知城下 鹰匠町 | 宇佐‘真覚寺日记’ | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大 | 中 | 小 | 合计 | 大 | 中 | 小 | 地震 | 合计 | |
嘉永7年11月 | 7 | 44 | 196 | 247 | 2 | 5 | 22 | 89 | 118 |
安政元年12月 | 3 | 20 | 73 | 96 | 2 | 16 | 40 | 88 | 146 |
安政2年正月 | 8 | 107 | 115 | 3 | 229 | 91 | 396 | 719 | |
2月 | 7 | 56 | 63 | 47 | 48 | 34 | 129 | ||
3月 | 6 | 42 | 48 | 27 | 69 | 12 | 108 | ||
4月 | 1 | 4 | 41 | 46 | 29 | 69 | 11 | 109 | |
5月 | 1 | 2 | 31 | 33 (sic) | 1 | 18 | 49 | 2 | 70 |
6月 | 1 | 31 | 32 | 19 | 52 | 5 | 76 | ||
7月 | 6 | 30 | 36 | 21 | 46 | 67 | |||
8月 | 10 | 9 | 19 | 15 | 52 | 1 | 68 | ||
9月 | 2 | 19 | 20 | 2 | 16 | 39 | 1 | 58 | |
10月 | 1 | 28 | 29 | 11 | 40 | 51 | |||
11月 | 18 | 18 | 16 | 33 | 49 | ||||
12月 | 14 | 14 | 6 | 42 | 2 | 50 |
稻垛之火
地震发生的当日入夜之后,巨大海啸抵达广川之前,当地商人,34岁的滨口梧陵点燃自己田地里的秸秆作为引导民众避难的指导,这后来被小泉八云等多位作家改写为故事,甚至也一度“稻垛之火”被列入小学的教材。在2007年广川町利用滨口梧陵旧宅成立了稻垛之火馆除了纪念滨口梧陵的行为,也作为推广防灾教育的中心。在2015年更在日本的主导下,由联合国将11月5日订为“世界巨大海啸日”[22][23][24][25]。
在地震过后,由滨口梧陵主导以及出资下,重新修建了长约为600米,高度为5米的广村堤防,但是在后来这个堤防也成功的抵挡了在1944年昭和东南海地震和1946年昭和南海地震所引发的巨大海啸[26]。
现在广川町每年固定会举办津浪祭和稻丛之火祭来纪念这段历史,在2018年这一系列与稻垛之火相关的事务也被文化厅以“百世的安堵”~巨大海啸与复兴的生活记忆 广川的防灾遗产~,列入了日本遗产[27]。
参考资料
引用
- ^ 1.0 1.1 宇佐美龙夫. 7-1 安政東海地震(1854-12-23),安政南海地震(1854-12-24)の震度分布 (PDF). 地震予知连络会会报 (地震予知连络会). 1989, 31: 480–497 [2018-02-02]. (原始内容 (pdf)存档于2016-03-04).
- ^ 2.0 2.1 宇佐美(2003), p164-168.
- ^ 灾害カレンダー‘安政东海地震・安政南海地震 (页面存档备份,存于互联网档案馆)”
- ^ 日本地震学会‘日本付近の主な被害地震年代表 (页面存档备份,存于互联网档案馆)’
- ^ 饶村曜. 「津波防災の日」「世界津波の日」のきっかけとなった「寅の大変」東海地震の32時間後の南海地震. [2021-07-02]. (原始内容存档于2021-07-11) (日语).
- ^ 安政南海地震とは. コトバンク. [2022-03-27]. (原始内容存档于2021-07-09) (日语).
- ^ 地震発生のしくみ. 気象庁. [2018-01-18]. (原始内容存档于2014-07-13) (日语).
- ^ プレート収束帯の地震発生について. 広岛大学地球惑星システム学 片山郁夫. [2018-01-18]. (原始内容存档于2011-04-10) (日语).
- ^ 日本列島. われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか そして、われわれは何者か -宇宙・地球・人类-. [2018-01-18]. (原始内容存档于2012-02-20) (日语).
- ^ 災害立国日本. 全国地质调查业协会连合会. [2017-12-17]. (原始内容存档于2011-11-09) (日语).
- ^ プレートテクトニクスと日本列島付近の地震. 东京大学 地震研究所. [2018-01-18]. (原始内容存档于2011-10-05) (日语).
- ^ 南海トラフ (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语)
- ^ 南海トラフ地震 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语)
- ^ 南海トラフ巨大地震 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语)
- ^ Masataka Ando. Source mechanisms and tectonic significance of historical earthquakes along the Nankai trough, Japan. Tectonophysics. 1975, 27: 119–140. (原始内容存档于2021-05-19).Masataka Ando. Source mechanisms and tectonic significance of historical earthquakes along the nankai trough, Japan. Tectonophysics (Impact Factor: 2.87). 1975, 27: 119–140. (原始内容存档于2018-10-24). doi: 10.1016/0040-1951(75)90102-X
- ^ Ando, M. Source mechanisms and tectonic significance of historical earthquakes along the nankai trough, Japan. Tectonophysics. 1975, 27 (2): 119–140 [2009-11-13]. Bibcode:1975Tectp..27..119A. doi:10.1016/0040-1951(75)90102-X. (原始内容存档于2019-01-11).
- ^ Ishibashi, K. Status of historical seismology in Japan (PDF). Annals of Geophysics. 2004, 47 (2/3): 339–368 [2009-11-22]. (原始内容存档 (PDF)于2019-10-25).
- ^ Ando, M. Source mechanisms and tectonic significance of historical earthquakes along the nankai trough, Japan. Tectonophysics. 1975, 27 (2): 119–140 [2009-11-13]. doi:10.1016/0040-1951(75)90102-X. (原始内容存档于2019-01-11).
- ^ Sieh, K.E. A Review of Geological Evidence for Recurrence Times of Large Earthquakes (PDF). 1981 [2009-11-13]. (原始内容存档 (PDF)于2010-06-04).
- ^ Kaneda, Y.; Kawaguchi, K. Araki, E. Matsumoto, H. Nakamura, T. Kamiya, S. Hori, T. & Baba, T. Precise real-time observatory and simulating phenomena of earthquakes and tsunamis around the Nankai Trough - Towards the understanding of mega thrust earthquakes. Underwater Technology and Workshop on Scientific Use of Submarine Cables and Related Technologies, 2007. Symposium on. 2007: 299–300 [2009-11-13]. (原始内容存档于2012-03-15).
- ^ Baba, T.; Cummins P.R., Hori T. & Kaneda Y. High precision slip distribution of the 1944 Tonankai earthquake inferred from tsunami waveforms: Possible slip on a splay fault. Tectonophysics. 2006, 426 (1-2): 119–134 [2011-03-26]. doi:10.1016/j.tecto.2006.02.015. (原始内容存档于2019-02-13).
- ^ 1105世界海嘯日 起源於日本170年前的「稻草之火」. ETtoday新闻云. 2015-12-08 [2019-11-18]. (原始内容存档于2021-07-11) (中文(台湾)).
- ^ 陈婉茹. 地表最強稻草──海嘯逸話『稻叢之火』. 921地震教育园区 电子报 67期. 国立自然科学博物馆. 2019-04-21 [2019-11-18] (中文(台湾)).
- ^ 濱口梧陵紀念館. 日本遗产 “百世安堵”. 广川町日本遗产推进协议会. [2019-11-18] (中文(台湾)).[永久失效链接]
- ^ 张国威. 聯合國通過 定11月5日爲「世界海嘯日」. 旺报. 2015-12-05 [2019-11-18]. (原始内容存档于2021-07-09) (中文(台湾)).
- ^ 廣村堤防. 日本遗产 “百世安堵”. 广川町日本遗产推进协议会. [2019-11-18]. (原始内容存档于2021-07-09) (中文(台湾)).
- ^ 何謂日本遺產「百世安堵」. 广川町日本遗产推进协议会. [2019-11-18]. (原始内容存档于2021-07-09) (中文(台湾)).
来源
- 今村明恒. 地震の国. 文艺春秋新社. 1949.
- 猪井达雄・泽田健吉・村上仁士. 徳島の地震津波 -歴史資料から-. 徳岛市立図书馆. 1982-02.
- 石桥克彦. 大地動乱の時代 -地震学者は警告する-. 岩波新书. 1994-08. ISBN 4-00-430350-8.
- 石桥克彦. 南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・社会-. 岩波书店. 2014-03. ISBN 978-4-00-028531-5.
- 矶田道史. 天災から日本史を読みなおす. 中公新书. 2014-11. ISBN 978-4-12-102295-0.
- 门村浩・松田磐余・高桥博. 実録 安政大地震 その日静岡県は. 静冈新闻社. 1983. ISBN 978-4-783810230.
- 北原糸子. 日本震災史 -復旧から復興への歩み. ちくま新书. 2016-09. ISBN 978-4-480-06916-0.
- 间城龙男. 宝永大地震 -土佐最大の被害地震-. あさひ誊写堂. 1995-01.
- 力武常次. 固体地球科学入門―地球とその物理 第2版. 共立出版. 1994-05. ISBN 978-4-3200-4670-2.
- 寒川旭. 揺れる大地―日本列島の地震史. 同朋舎出版. 1997-01. ISBN 978-4-8104-2363-1.
- 寒川旭. 地震の日本史 -大地は何を語るのか-. 中公新书. 2007-11. ISBN 978-4-12-101922-6.
- 阿部胜征・冈田义光・岛崎邦彦・铃木保典. 佐藤良辅编著 , 编. 日本の地震断層パラメーター・ハンドブック. 鹿岛出版会. 1989-03-25. ISBN 978-4-3060-3232-3.
- 高木金之助编、沢村武雄. 「五つの大地震」四国山脈. 毎日新闻社. 1959. 五つの大地震,存于互联网档案馆
- 沢村武雄. 日本の地震と津波 -南海道を中心に-. 高知新闻社. 1967.
- 寺石正路. 土佐古今ノ地震. 土佐史谈会. 1923.
- 都司嘉宣. 千年震災 -繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ. ダイヤモンド社. 2011-05. ISBN 978-4-478-01611-4.
- 都司嘉宣. 歴史地震の話 -語り継がれた南海地震. 高知新闻社. 2012-06. ISBN 978-4-87503-437-7.
- 宇佐美龙夫. 最新版 日本被害地震総覧 416‐2001. 东京大学出版会. 2003-04. ISBN 978-4-1306-0742-1.
- 宇佐美竜夫 『安政地震』. 世界大百科事典. 世界大百科事典 2. 平凡社. 2009.
- 宇津徳治・嶋悦三・吉井敏克・山科健一郎 (编). 地震の事典 第2版. 朝仓书店. 2001. ISBN 978-4-2541-6039-0.
- 矢田俊文]. 中世の巨大地震. 吉川弘文馆. 2008-12. ISBN 978-4-6420-5664-9.
- 田山实、震灾予防调查会编 (编). 大日本地震史料 下巻. 丸善. 1904. pp.361-526 国立国会図书馆サーチ (页面存档备份,存于互联网档案馆)
- 武者金吉 (编). 日本地震史料. 毎日新闻社. 1951. pp.75-468
- 东京大学地震研究所 (编). 新収 日本地震史料 新収 日本地震史料 五巻 別巻五-一 安政元年十一月四日・五日・七日. 日本电気协会. 1987. pp.1-1438 - 安政地震に関する新収古记录原典の集成
- 东京大学地震研究所 (编). 新収 日本地震史料 新収 日本地震史料 五巻 別巻五-二 安政元年十一月四日・五日・七日. 日本电気协会. 1987. pp.1439-2528 - 安政地震に関する新収古记录原典の集成
- 东京大学地震研究所 (编). 新収 日本地震史料 補遺 別巻. 日本电気协会. 1989. pp.409-612
- 东京大学地震研究所 (编). 新収 日本地震史料 続補遺 別巻. 日本电気协会. 1994. pp.414-869
- 宇佐美龙夫. 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻. 东京大学地震研究所. 1999-03. pp.467-710
- 宇佐美龙夫. 日本の歴史地震史料 拾遺二. 东京大学地震研究所. 2002-03. pp.296-435
- 宇佐美龙夫. 日本の歴史地震史料 拾遺三. 东京大学地震研究所. 2005-03. pp.463-543
- 宇佐美龙夫. 日本の歴史地震史料 拾遺四ノ上. 东京大学地震研究所. 2008-06. pp.589-1133
- 宇佐美龙夫. 日本の歴史地震史料 拾遺五ノ下. 东京大学地震研究所. 2012-06. pp.1082-1333
- ‘大坂大津浪図’PDF - 大阪城天守阁蔵、大阪市[1] (页面存档备份,存于互联网档案馆) 2014年3月28日阅覧
- 大阪大津波の図. 小野秀雄コレクション. 东京大学大学院情报学环・学际情报学府. [2014-03-28]. (原始内容存档于2014-03-28).