尊圆入道亲王
此条目没有列出任何参考或来源。 (2016年8月20日) |
尊圆入道亲王 | |||||||||||
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日本入道亲王 | |||||||||||
国家 | 大和王朝 | ||||||||||
时代 | 镰仓时代后期、南北朝时代初期 | ||||||||||
姓 | (无) | ||||||||||
名 | 守彦 | ||||||||||
封爵 | 入道亲王 | ||||||||||
法号 | 尊圆 | ||||||||||
出生 | 永仁六年六月二十三( 1298年8月1日) | ||||||||||
逝世 | 正平十一年/延文元年九月十三(1356年10月7日 (58岁)) | ||||||||||
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日语写法 | |
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日语原文 | 尊円入道親王 |
假名 | そんえんにゅうどうしんのう |
平文式罗马字 | Son'en Nyūdōshinnō |
尊圆入道亲王(1298年8月1日—1356年10月7日),俗名守彦,是日本镰仓时代后期及南北朝时代初期的入道亲王,生父母是伏见天皇及三善俊亨之女,后伏见天皇和花园天皇的异母兄弟,亦是青莲院第十七世门迹。
履历
延庆元年(1308年)进入青莲院,延庆三年(1310年)接受亲王宣下。次年遁入法门,法名尊圆,就任青莲院门迹。正和三年(1314年)到元德元年(1329年)期间管理青莲院,到元德三年(1331年)成为天台座主,前后共担任四次。
青莲院流
尊圆入道亲王向世尊寺行房学习和歌,后来行房帮助南朝,在金泽战死,于是他转为向行房的弟弟行尹学习。他的书法有尊圆流或青莲院流的称呼。
现在残存著作・书法作品
等等。
系图
(88)后嵯峨天皇 | 宗尊亲王 (镰仓将军6) | 惟康亲王 (镰仓将军7) | 〔北朝〕 | (北朝1)光严天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(93)后伏见天皇 | (北朝2)光明天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【持明院统】 (89)后深草天皇 | (92)伏见天皇 | (95)花园天皇 | 直仁亲王 (皇太子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尊圆入道亲王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
久明亲王 (镰仓将军8) | 守邦亲王 (镰仓将军9) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【大觉寺统】 (90)龟山天皇 | (91)后宇多天皇 | (94)后二条天皇 | 邦良亲王 (皇太子) | 康仁亲王 (皇太子) | 〔木寺宫家〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔南朝〕 | (96)后醍醐天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
相关项目
宗教头衔 | ||
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前任: 道熙法亲王 |
青莲院门迹 第35世 |
继任: 尊实法亲王 |
前任: 尊澄法亲王 |
天台座主 第121世 1331年11月25日-1333年1月30日 第126世 1339年11月27日-1341年4月27日 第131世 1350年8月23日-1351年12月6日 第133世 1352年8月6日-1352年10月22日 |
继任: 尊胤法亲王 |
前任: 性慧 |
继任: 祐助法亲王 | |
前任: 尊胤法亲王 |
继任: 慈严 | |
前任: 慈严 |
继任: 尊胤法亲王 (不计入世数) |