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葛饰坂东观音灵场

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葛饰坂东观音灵场日语:かつしかばんどうかんのんれいじょう)是日本茨城县古河市五霞町八千代町栃木县野木町观音灵场之总称。在正德4年(1714年)开创了33个寺的灵场,后来追加到现在共有41个寺。

历史

江户时代正德4年(1714年),由下总国葛饰郡久能村(茨城县古河市久能)的宝性院住持秀传所创。在西国三十三观音坂东三十三观音、秩父三十四观音之后,得到周遭33个寺的同意后所开创。这个时期,民众流行佛堂巡礼,但为了无法负担至远地巡礼的人们,各地区的高僧设计规划出小规模的寺院巡礼。[1] [2]

之后包含了恩名村的养性寺在内共有34个寺院,再追加了7个寺,现在共有 41个礼所。明治初期因废佛毁释而废寺,灵场也同遭其难,但因为在地居民的深厚信仰支持之下,到现在仍维持有观音堂和观音像,每12年一次的午岁会进行御开账。[3]

灵场一览

分布于茨城县古河市猿岛郡五霞町结城郡八千代町,和栃木县下都贺郡野木町

礼所编号 山号・院号・寺号 通称・别称 日语读法 本尊 宗派 位址 备注
1 宝箧山 实相院 じっそういん 千手千眼观世音菩萨 真言宗丰山派 五霞町元栗桥1125 观音堂是在明治11年从古河的长谷寺移筑而来
2 大士山 观音寺 山王观音寺 かんのんじ 圣观世音菩萨 真言宗丰山派 五霞町山王290-2
番外 莲花庵 れんげあん 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 五霞町新幸谷231 被尊称为“尊寺(お寺)”。现在遗迹地为集会所
3 天福寺 てんぷくじ 十一面天神本地佛 真言宗丰山派 五霞町大福田947 明治初期被废寺,在天神社左边为观音堂
番外 地藏堂 じぞうどう 千手观世音菩萨 真言宗丰山派 五霞町释迦字地藏前2422-1
4 深典山(深典山) 正德寺 しょうとくじ 圣观世音菩萨 净土宗 五霞町大福田758
5 凤凰山 胜光院 しょうこういん 十一面观世音菩萨 真言宗智山派 五霞町小手指74 香取神社境内
6 净云寺 岩屋观音 じょううんじ 如意轮观世音菩萨 净土宗 五霞町川妻岩屋堂246 也被称为“穴药师”
7 中田山 万福寺(万福寺) まんぷくじ 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市中田1040 从山门进入后,左边为观音堂
番外 明观山 观音院 长谷寺 长谷观音 はせでら 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市长谷町5-1
8 前林山 东光寺 とうこうじ 千手观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市前林1765 本堂西边为观音堂
9 泉见山 金藏院 宝照寺 こんぞういん 如意轮观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市下边见2821 本堂东边为观音堂
10 释迦山 金乘院 世尊寺 こんじょういん 圣观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市释迦105
11 久松山 净林院 净林寺 じょうりんじ 十一面观世音菩萨 曹洞宗 古河市驹羽208 废寺,现存观音堂,遗迹地为集落中心
12 清净山 欢喜院 吉祥寺 きちじょうじ 三面六臂观世音菩萨 时宗 古河市水海3026 进入山门后左边为观音堂
13 (高野)观音堂 かんのんどう 圣观世音菩萨 时宗 古河市高野西坪571 观音堂是近年再建
14 谷中山 宝性院 观音寺 ほうしょういん 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市久能596 有礼所开创者・秀传之墓
15 葛生山(慈眼山) 真如院 しんにょいん 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市葛生1654 明治初期被废寺
番外 锅入观音堂 なべいりかんのんどう 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市葛生1825 也被称为“掘出观音”、“安产观世音”。
16 柳桥山 龙藏院 西光寺 りゅうぞういん 圣观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市柳桥1178
17 不动山 华藏院 けぞういん 千手观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市柳桥1163-1 明治初年被废寺,现在由居民护持
18 益叶山 久昌院 きゅうしょういん 十一面观世音菩萨 曹洞宗 古河市山田503 同时也是猿岛坂东观音灵场第9号礼所
19 生光山 万福寺 まんぷくじ 如意轮观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市尾崎4477
20 常光山 劝行院 かんぎょういん 圣观世音菩萨 真言宗丰山派 八千代町塩本15
番外 太光山 新长谷寺 八町观音 はっちょうかんのん 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 八千代町八町149 也是关东八十八个所灵场第38号礼所
21 遍照院 へんじょういん 马头观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市尾崎880 现在由在地居民管理
番外 道乐山 地藏院 永光寺 えいこうじ 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市尾崎954 也是北关东不动灵场第34号、关东八十八个所灵场第39号礼所
22 慈光山 大善院 宝藏寺 ほうぞうじ 圣观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市诸川342-1
23 长宫山 长性寺 ちょうしょうじ 十一面观世音菩萨 时宗 古河市诸川430 明治初期废寺,观音堂是近年再建
24 慈眼山 圆能寺(円能寺) えんのうじ 圣观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市五部348 明治初期废寺,观音堂是近年再建
25 清泷山(清滝山) 不动院 大善寺 だいぜんじ 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市上片田368 明治初期废寺,现存观音堂
26 佛立山(仏立山) 一乘院 いちじょういん 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市下片田364
27 大悲山 真定院 观音寺 しんじょういん 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市上大野1999 明治初期废寺,现在由在地居民管理
番外 小久保堂 こくぼどう 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市上大野1489 小久保家管理
28 稲荷山 福智院 地藏寺 ふくちいん 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市稲宫1079 明治初期废寺
29 关宝山 摩思院 阿弥陀寺 千手堂 せんじゅどう 千手观世音菩萨 净土土宗 古河市关戸1229 也称为“关户观音”。明治初期废寺,现存观音堂
30 普门院 ふもんいん 圣观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市西牛谷92 明治初期废寺、现存观音堂
31 观音寺 赤观音 かんのんじ 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 野木町中谷栗山251
32 如意轮堂 にょいりんどう 如意轮观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市小堤1122-4 观音堂是近年再建
33 宝林山 地藏院 圆满寺 えんまんじ 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市小堤1405 有观音御开账事务局。本堂西边为观音堂
34 养性寺 ようじょうじ 十一面观世音菩萨 真言宗丰山派 古河市恩名2362 明治初期废寺,现存香取神社东边的观音堂

御开账

从正德4年(1714年)开创以来,12年一度的午年会进行观音御开账。最近一次是在平成26年(2014年)的第26回御开账。进行期间是从3月18日至4月17日的1个月之间。各礼所会公开观音像让人礼拜。准备作业从前年开始,由圆满寺的事务局负责运行。各礼所为了供养,会设立角塔婆,在主尊(观音像)和参拜者间张开结网,称为“缘之纲”。参拜时触碰了这个结网,会得到观音的恩惠。作为参拜的证明,会在“纳经贴”上押印御朱印,巡礼完全部的礼所后可以领取“结愿证”。 [4] [5]

御咏歌

各寺院有其“御咏歌”,以平易语言流传佛陀的教导,也称为“巡礼歌”,通常歌词也包括了寺院名、地名、景观等等。参拜时唱颂咏歌,据说和读唱经文有同样的功德。

举例来说,第一号礼所实相院的御咏歌原文为“実相の 空にまよいの 云はれて 真如の月の かげぞさやけき”。

注脚

  1. ^ ‘総和町史 民俗编’ 総和町、平成17年(2005年)、462-470页(仏堂巡拝)
  2. ^ 铃木印刷所 制作・印刷・制本 ‘葛饰坂东札所めぐり公认ガイドブック 葛饰坂东観音御开账’ 平成26年(2014年)、10页(葛饰坂东観音御开账の由来)
  3. ^ 白木利幸. 巡礼・参拝用語辞典. 朱鹭书房. 1994: 61. 
  4. ^ 铃木印刷所 制作・印刷・制本 ‘葛饰坂东札所めぐり公认ガイドブック 葛饰坂东観音御开账’ 平成26年(2014年)、11页(葛饰坂东観音御开账のあらまし)
  5. ^ 铃木印刷所 制作・印刷・制本 ‘葛饰坂东札所めぐり公认ガイドブック 葛饰坂东観音御开账’ 平成26年(2014年)、13页(観音様巡りを充実させるために御朱印をいただきましょう)

参考文献

  • 铃木印刷所 制作・印刷・制本 ‘葛饰坂东札所めぐり公认ガイドブック 葛饰坂东観音御开账’ 平成26年(2014年)
  • 総和町史编さん委员会 编 ‘総和町史 民俗编’ 総和町、平成17年(2005年)
  • 三和町史编さん委员会 编 ‘三和町史 通史编 近世’ 三和町、平成12年(2000年)、166-182页(常総の寺院と町内寺院)

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