笹森站
笹森 | |||||||||||
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日语名称 | |||||||||||
笹森 – ささもり – Sasamori | |||||||||||
车站概览 | |||||||||||
位置 | 日本北海道足寄郡足寄町大譽地 | ||||||||||
地理坐标 | 43°22′10.72″N 143°38′29.85″E / 43.3696444°N 143.6416250°E | ||||||||||
车站构造 | |||||||||||
站体类型 | 地面車站 | ||||||||||
站台 | 1面1線 | ||||||||||
历史 | |||||||||||
启用日期 | 1948年(昭和23年)8月1日 | ||||||||||
关闭日期 | 2006年(平成18年)4月21日[1] | ||||||||||
邻近车站 | |||||||||||
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备注 | |||||||||||
隨著故鄉銀河線廢線而廢站。 |
笹森站(日语:笹森駅/ささもりえき Sasamori eki */?)是位於北海道足寄郡足寄町大譽地,北海道池北高原鐵道的故鄉銀河線車站(廢站)。隨著故鄉銀河線廢線,車站在2006年(平成18年)4月21日廢除[1]。
歷史
此站原本是臨時乘降場。在臨時乘降場時代,北海道版的時間表與2萬5千分之1地形圖均沒有被記載下來,因此不太知道臨時乘降場的存在。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本國有鐵道成立,成為日本國有鐵道車站。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 池田至北見之間改名為池北線,成為池北線車站[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 伴隨國鐵分割民營化,車站由北海道旅客鐵道(JR北海道)營運。同時升級為車站[2][4]。
- 1989年(平成元年)6月4日 - 北海道池北高原鐵道繼承池北線[3][5][6][7][8][2]。
- 2006年(平成18年)4月21日 - 故鄉銀河線全線廢除[1][9],此站也廢除。
站名的由來
有一個説法是曾經當地曾經長滿「笹」(赤竹),因此把地名改為「笹森」[4]。
車站構造
月台地基一半是使用了重用的橋桁。
此站設有維護用車輛的留置線。在國鐵時代的陸別保線區笹森分班建築物還存在。
車站周邊
在周邊看不到民居。
相鄰車站
注腳
- ^ 1.0 1.1 1.2 北見現代史編集委員会(編集). 北見現代史. 北見市: 981頁. 2007-01 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 停車場變遷大事典 國鐵・JR編II 1998年10月 JTB發行。
- ^ 3.0 3.1 田中和夫(監修). 写真で見る北海道の鉄道. 上巻 国鉄・JR線. 北海道新聞社(編集). 2002-07-15: 236–237頁. ISBN 978-4-89453-220-5. ISBN 4-89453-220-4 (日语).
- ^ 4.0 4.1 太田幸夫. 北海道の駅 878ものがたり~駅名のルーツ探求~ 1. 札幌市: 富士コンテム. 2004-02-29: 139. ISBN 4-89391-549-5 (日语).
- ^ 田中和夫(監修). 写真で見る北海道の鉄道. 下巻 SL・青函連絡船他. 北海道新聞社(編集). 2002-12-05: 222頁–223頁. ISBN 978-4-89453-237-3. ISBN 4-89453-237-9.
- ^ 北見現代史編集委員会(編集). 北見現代史. 北見市: 952頁,954頁. 2007-01 (日语).
- ^ ふるさと銀河線10周年記念事業実行委員会(編集). ふるさと銀河線10年のあゆみ: 21–24頁、95頁. 1999-06-04 (日语).
- ^ さよなら池北線、こんにちは銀河線-JRがお別れ列車。あすから「ちほく高原鉄道」. 北海道新聞 (北海道新聞社). フォト北海道(道新写真データベース). 1989-06-03 [2016-11-25]. (原始内容存档于2016年11月25日) (日语).
- ^ 95年の旅 終着駅*銀河線*北見に最終列車. 北海道新聞 (北海道新聞社). フォト北海道(道新写真データベース). 2006-04-21 [2016-11-25]. (原始内容存档于2016年11月25日) (日语).