跳转到内容

陆军炮工学校

维基百科,自由的百科全书

陆军炮工学校大日本帝国陆军教育机关。1890年(明治22年)5月创办时,对炮兵科工兵科军官専门教育为目的。昭和14年除了宪兵科以外的全兵科将校均可入学。昭和16年8月改组为陆军科学学校。相当于现在的陆上自卫队技术高级课程日语技術高級課程

概要

1890年(明治22年)5月31日创办炮工学校。入学资格为队务2年以上的炮兵科及工兵科中尉少尉。修学年限2年。隶属于监军部日语監軍部炮兵监日语砲兵監工兵监日语工兵監。在炮工学校开班前,炮・工兵科将校教育由陆军士官学校负责,歩兵科毕业后留校继续学习炮兵、工兵技术。当时士官学校的士官候补生称为士官生徒日语士官生徒,炮工科学生在少尉任官后因为仍然是生徒所以称为“少尉生徒”。

1892年(明治24年)11月改为直属于监军部日语監軍部,入学资格为炮、工兵科少尉。招收陆军士官学校毕业任官炮工両科的少尉入学,普通科学制1年半,其中三分之一到四分之一修学优秀者被选抜出来接受1年的高等科教育。高等科毕业生中的优等学生被恩赐军刀。 炮、工兵科的优秀军官未必有机会进入陆军大学校深造,因此在人事层面,炮工学校高等科的优等卒业者被视为陆军大学校毕业同等学历。

从1893年(明治25年)11月高等科第1期卒业至1933年(昭和8年)11月高等科第39期卒业,各期炮兵2名、工兵1名,每届共认定3名优等卒业生。从1934年(昭和9年)11月第40期开始,每届认定各兵科1名共计2名优等卒业生。1937年(昭和12年)11月第43期卒业生,废止优等卒业生制度。高等科卒业生中的希望进一步在技术上深造的技术将校被派遣到东京帝国大学理学部日语理学部工学部日语工学部作为员外学生日语員外学生。派遣为期三年。1921年(大正10年)京都帝国大学开始承担兵器技术养成目的,1935年(昭和10年)以后其它帝国大学也开始接受派遣対象。也有派遣到外国留学。1935年(昭和10年)增加了气象作戦系教育。気象部于1938年(昭和13年)从陆军気象部日语陸軍気象部分离独立。受日中战争的影响,不限于炮、工兵科的科学技术习得凸显重要,因此从1939年(昭和14年)除了宪兵科日语憲兵 (日本軍)的全兵科都可入学。1941年(昭和16年)8月1日改称陆军科学学校。1944年(昭和19年)10月31日关闭学校。

1936年(昭和11年)2月26日二二六事件,陆军炮工学校生徒安田优日语安田優炮兵少尉(陆士46期)参加了叛乱部队。

历代校长

炮工学校长

科学学校长

高等科优等卒业生

  • 氏名・阶级・陆军士官学校卒业期(括弧内に记す)の顺で表示した。
  • 阶级は何れも卒业时のもの。
第1期(明治25年11月25日卒业)
八田郁太郎炮兵中尉(旧10)、渡辺岩之助日语渡辺岩之助炮兵中尉(旧10)、松井库之助日语松井庫之助工兵中尉(旧10)
第2期(明治26年11月25日卒业)
奈良武次日语奈良武次炮兵中尉(旧11)、関谷豁炮兵中尉(旧11)、川人洁太郎工兵中尉(旧11)
第3期(明治28年11月26日卒业)
町田彦二炮兵中尉(1)、渡辺兼二日语渡辺兼二工兵中尉(1)
第4期(明治29年11月28日卒业)
小野寺重太郎日语小野寺重太郎炮兵中尉(2)、高桥绥次郎日语高橋綏次郎炮兵中尉(2)、矢野目孙一日语矢野目孫一工兵中尉(2)
第5期(明治30年11月27日卒业)
菱田菊次郎日语菱田菊次郎炮兵大尉(3)
第6期(明治31年12月22日卒业)
吉田豊彦日语吉田豊彦 (陸軍軍人)炮兵中尉(5)、波多野义彦炮兵中尉(5)、有川鹰一日语有川鷹一工兵中尉(6)
第7期(明治32年12月23日卒业)
兼松习吉炮兵中尉(7)、下田三四郎炮兵中尉、静间知次日语静間知次工兵中尉(7)
第8期(明治33年12月25日卒业)
岛内国彦炮兵中尉(8)、井上与一郎炮兵中尉(8)、堀田正一日语堀田正一工兵中尉(8)
第9期(明治34年12月23日卒业)
北川正太郎炮兵中尉(9)、西郷胜蔵炮兵中尉(9)、宫原国雄工兵中尉(8)
第10期(明治35年12月22日卒业)
大桥顾四郎日语大橋顧四郎炮兵中尉(10)、越山弥一郎炮兵中尉(10)、高田精一工兵中尉(10)
第11期(明治36年12月23日卒业)
三轮时雄炮兵中尉(10)、胜野正鱼炮兵中尉(11)、郡山真太郎工兵中尉(11)
第12期(明治39年12月21日卒业)
渡辺良三日语渡辺良三炮兵大尉(12)、小出忠义日语小出忠義炮兵大尉(12)、杉原美代太郎日语杉原美代太郎工兵大尉(12)
第13期(明治40年12月18日卒业)
桜井养秀炮兵中尉(13)、田岛繁稲炮兵中尉(13)、鸟谷秀工兵中尉(13)
第14期(明治41年12月19日卒业)
小林顺一郎炮兵中尉(13)、久村种树日语久村種樹炮兵中尉(14)、竹嶌藤次郎日语竹嶌藤次郎工兵中尉(14)
第15期(明治42年11月26日卒业)
村井胜日语村井勝 (陸軍軍人)炮兵中尉(15)、永持源次日语永持源次炮兵中尉(15)、松井命日语松井命工兵中尉(16)
第16期(明治43年11月25日卒业)
石井善七炮兵中尉(18)、吉冈大吉炮兵中尉(18)、飞鸟井雅四日语飛鳥井雅四工兵中尉(18)
第17期(明治44年11月27日卒业)
小须田胜造日语小須田勝造炮兵中尉(19)、大冢喜辅炮兵中尉(16)、桑原四郎日语桑原四郎工兵中尉(19)
第18期(大正元年11月26日卒业)
桥本群日语橋本群炮兵中尉(20)、大角亨日语大角亨炮兵中尉(21)、安田武雄日语安田武雄工兵少尉(21)
第19期(大正2年11月22日卒业)
大岛骏日语大島駿炮兵少尉(22)、长沢重伍日语長沢重伍炮兵少尉(22)、今井善知炮兵中尉(21)、岩崎安美工兵少尉(22)
第20期(大正3年11月25日卒业)
汤浅外雄炮兵中尉(22)、松原一霍日语下野一霍炮兵少尉(23、后に下野一霍)、林末松工兵少尉(23)
第21期(大正4年12月8日卒业)
长谷川治良日语長谷川治良炮兵中尉(23)、酒井康日语酒井康 (陸軍軍人)炮兵少尉(24)、多久知利工兵少尉(24)
第22期(大正5年11月30日卒业)
菅晴次日语菅晴次炮兵少尉(25)、冈田重一郎日语岡田重一郎炮兵少尉(25)、前田正実日语前田正実工兵少尉(25)
第23期(大正6年11月26日卒业)
远藤三郎炮兵少尉(26)、影佐祯昭日语影佐禎昭炮兵少尉(26)、井上作巳工兵少尉(26)
第24期(大正7年11月27日卒业)
原乙未生日语原乙未生炮兵少尉(27)、相马癸八郎炮兵少尉(27)、谷田勇日语谷田勇工兵少尉(27)
第25期(大正8年11月29日卒业)
下田信夫炮兵少尉(28)、絵野沢静一炮兵少尉(28)、多田与一工兵少尉(28)
第26期(大正9年11月26日卒业)
石井孝炮兵中尉(28)、有马徴炮兵少尉(29)、镰田铨一日语鎌田銓一工兵少尉(29)
第27期(大正10年11月24日卒业)
浅野刚日语浅野剛炮兵少尉(30)、小林军次炮兵少尉(30)、田中収工兵少尉(30)
第28期(大正11年11月28日卒业)
公平匡武日语公平匡武炮兵少尉(31)、大岛卓炮兵少尉(31)、山崎武夫工兵少尉(31)
第29期(大正12年12月25日卒业)
信浓成繁日语信濃成繁炮兵中尉(32)、能登久日语能登久炮兵中尉(32)、草场季喜日语草場季喜工兵中尉(32)
第30期(大正13年12月23日卒业)
野村恭雄日语野村恭雄炮兵中尉(33)、根岸主计日语根岸主計炮兵中尉(33)、野村健三日语野村健三工兵中尉(33)
第31期(大正14年12月21日卒业)
马渊良逸日语馬淵良逸炮兵中尉(34)、丹羽利男炮兵中尉(34)、畑尾正央工兵中尉(34)
第32期(大正15年12月22日卒业)
川上爱二炮兵中尉(35)、佐藤裕雄炮兵中尉(35)、松谷诚日语松谷誠工兵中尉(35)
第33期(昭和2年12月22日卒业)
水岛纲次郎炮兵中尉(36)、篠尾正明炮兵中尉(36)、佐竹金次工兵中尉(36)
第34期(昭和3年12月21日卒业)
馆野基忠炮兵中尉(36)、松山直树炮兵中尉(36)、重台五郎工兵中尉(37)
第35期(昭和4年12月10日卒业)
河村一夫炮兵中尉(38)、藤田晴三炮兵中尉(38)、神尾元雄工兵中尉(38)
第36期(昭和5年11月28日卒业)
中原茂敏日语中原茂敏炮兵中尉(39)、石冢武雄炮兵中尉(39)、斎藤有工兵中尉(39)
第37期(昭和6年11月27日卒业)
佐藤勲炮兵中尉(40)、今井丈夫炮兵中尉(40)、安成季隆工兵中尉(40)
第38期(昭和7年11月25日卒业)
原田菅雄炮兵中尉(41)、野尻徳雄炮兵中尉(41)、村上克己工兵中尉(41)
第39期(昭和8年11月25日卒业)
岛津武炮兵中尉(42)、桑野竜一炮兵中尉(42)、竹之内勲工兵中尉(42)
第40期(昭和9年11月26日卒业)
川上清康炮兵中尉(42)、高田清工兵中尉(43)
第41期(昭和10年11月27日卒业)
国武辉人炮兵中尉(44)、岩越绅六工兵中尉(44)
第42期(昭和11年11月27日卒业)
辻义彦炮兵中尉(45)、北崎昌安工兵中尉(45)
第43期(昭和12年11月卒业)
稲叶正二炮兵中尉(46)、若林元工兵中尉(46)

参考文献