薮中三十二
薮中三十二 | |
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外务事务次官 | |
任期 2008—2010 | |
前任 | 谷内正太郎 |
继任 | 佐佐江贤一郎 |
外务审议官(政务) | |
任期 2007—2008 | |
前任 | 西田恒夫 |
继任 | 佐佐江贤一郎 |
外务审议官(经济) | |
任期 2005—2007 | |
前任 | 藤﨑一郎 |
继任 | 河野雅治 |
亚洲大洋洲局局长 | |
任期 2002—2005 | |
前任 | 田中均 |
继任 | 佐佐江贤一郎 |
日本国驻美国芝加哥总领事 | |
任期 1998—2002 | |
前任 | 阿部知之 |
继任 | 坂场三男 |
个人资料 | |
性别 | 男 |
出生 | 日本大阪府 | 1948年1月23日
国籍 | 日本 |
学历 | 大学 |
母校 | 大阪大学 南伊利诺伊州大学 康乃尔大学 |
职业 | 外交家、教授 |
宗教信仰 | 神道教 |
薮中三十二(日语:薮中三十二,1948年1月23日—)毕业于大阪大学,为日本教授、外交官。
生平
1948年,出生在日本大阪府,早年曾经在大阪府立住吉高等学校、大阪大学法学部读书。
1968年(昭和43年),进入外务省。
1971年(昭和46年),到美国南伊利诺伊州大学(Southern Illinois University)、康乃尔大学留学升造。
1973年(昭和48年)6月,担任驻大韩民国大使馆书记官。
1981年(昭和56年)8月,担任驻印度尼西亚大使馆书记官。
1983年(昭和58年)6月,担任驻美国大使馆书记官。
2002年(平成14年)12月,担任外务省亚洲大洋洲局局长,并且参加朝鲜六方会谈。
2005年(平成17年)1月,担任经济事务的外务审议官。
2007年(平成19年)1月,担任政治事务的外务审议官。
2008年接替谷内正太郎出任外务省事务次官。
2010年,退职,担任外务省顾问。10月,他在立命馆大学国际关系学部特别招聘教授就任。
其他职务
- 大阪大学客座教授 - 1995年(平成7年) 现在。
- 早稲田大学讲师 - 1996年(平成8年) 现在。
- 芝加哥日本商工会议所(JCCC)名誉会头[1] - 2002年(平成14年)1月现在。
- 世界基金支援日本委员会(FGFJ)委员[2] - 2006年(平成18年) 7月现在。
- 日本文化委员会委员[3] - 2008年(平成20年)12月现在。
- 立命馆亚洲太平洋大学(APU)支援组织[4] - 2008年(平成20年)12月现在。
- 日米教育委员会 日本侧共同名誉议长[5] - 2009年(平成21年)现在。
作品
专著
(日语)‘対米経済交渉 - 摩擦の実像 -’ サイマル出版会 1991年11月 ISBN 4-377-30913-7
(日语)‘国家の命運―外交の修羅場で考えた危機と希望’新潮社 2010年
寄稿论文等
(日语)‘国际问题: ガット・ウルグアイラウンドと知的所有権问题 (产业の国际化と知的所有権<焦点>)’ 日本国际问题研究所 1987年8月 - 39ページから48ページ
(日语)‘ジュリスト: 日米构造问题协议 - その今日的意义・特色及び法的位置づけ (日米构造问题协议 - 法的课题の検讨<特集>)’ 有斐阁 1990年10月 - 46ページから52ページ
(日语)黒泽満编 ‘新しい国际秩序を求めて - 平和・人権・経済 (川岛庆雄先生还暦记念): 国际経済秩序の展望 揺れる国际贸易システム - “ガット体制”の将来’ 信山社出版 1994年3月 ISBN 4-88261-436-7
(日语)‘外交フォーラム: シカゴ発 - 正统派エコノミーの意地 (特集 新政権诞生 - アメリカの明日を描く)(现地报告 アメリカの自信)’ 都市出版 2001年4月 - 51ページから56ページ
(日语)‘论座: 日中関系を大いに语る - 王毅・中国大使“中国の発展は日本の胁威にはならない” 薮中三十二・外务审议官“日中间に问题があるからこそ首脳は会うべきだ” (庆应义塾大学主催シンポジウム采录)’ 朝日新闻社 2005年5月 - 172ページから175ページ
(日语)‘AFRICA: 薮中三十二外务审议官に闻く’ 社団法人 アフリカ协会 2005年8月-9月号 - 6ページから11ページ
(日语)‘世界経済评论: グレンイーグルズ・サミットの成果と日本’世界経済研究协会 2005年9月 - 6ページから15ページ
(日语)‘外交フォーラム: インタビュー グレンイーグルズ・サミットを振り返る’ 都市出版 2005年10年 - 66ページから73ページ
(日语)‘中央公论: 高度成长の入り口に立つインド 日印戦略的パートナーシップを目指せ’ 中央公论新社 2006年5月 - 202ページから211ページ
(日语)‘外交フォーラム: インタビュー サンクトペテルブルク・サミットを振り返る’ 都市出版 2006年9月 - 64ページから73ページ
(日语)‘世界経済评论: サンクトペテルブルク・サミットの成果と日本’ 世界経済研究协会 2006年10月 - 7ページから17ページ
(日语)‘时评: 山本雄二郎の霞が関诊断(342回)これからの日本外交の进路は、环境に优しい日本、军缩の日本、途上国の国造りを助ける日本です’ 时评社 2008年5月 - 54ページから64ページ
(日语)‘世界経済评论: グレンイーグルズ・サミットの成果と日本 - 二〇〇五年 (シェルパ报告再录 - 东京サミット(3回)&冲縄サミット以降すべて)’ 世界経済研究协会 2008年6月 - 119ページから123ページ
(日语)‘世界経済评论: サンクトペテルブルク・サミットの成果と日本 - 二〇〇六年 (シェルパ报告再录 - 东京サミット(3回)&冲縄サミット以降すべて)’ 世界経済研究协会 2008年6月 - 124ページから128ページ
(日语)‘プロジェクト研究: 日本外交の现状と课题“日本の国际戦略を考える” 基调讲演 (第四回早稲田大学総合研究机构研究成果报告会)’ 早稲田大学総合研究机构 2009年3月 - 99ページから110ページ
(日语)‘外交フォーラム: 日本外交のかたち - 现役外务事务次官による“中规模高品质国家”への提言’ 都市出版 2009年3月 - 6ページから14ページ
(日语)‘日本证券経済倶楽部レポート: 最近の国际情势と日本外交の课题’ 社団法人 日本证券経済倶楽部 2009年4月 - 1ページから8ページ
参考文献
- ^ シカゴ日本商工会议所 2002年度会员総会・新年会を开催! (页面存档备份,存于互联网档案馆) シカゴ日本商工会议所(JCCC)
- ^ JCIE 事业报告 2004 2005[永久失效链接] 米国法人 日本国际交流センター(JCIE)
- ^ 日本ユネスコ国内委员会委员名簿 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 文部科学省
- ^ ニュース: 日本外交の课题 - 薮中外务事务次官特别讲义を実施 2009-5-18[永久失效链接] 立命馆アジア太平洋大学(APU)
- ^ 日米教育委员会 委员の绍介 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 日米教育委员会(FULBRIGHT)
1999年(平成11年)
- 北米総领事便り 在シカゴ総领事 薮中三十二 1999年6月 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 日本国外务省
2002年(平成14年)
- 薮中三十二 在シカゴ日本国総领事 离任ご挨拶 4. 2002 シカゴ日本商工会议所(JCCC)
2005年(平成17年)
- (私の视点)アフリカ支援 サイレント津波にODAを 薮中三十二 2005.02.17 朝日新闻朝刊 14页 オピニオン2 财団法人 日本国际交流センター(JCIE)世界基金支援日本委员会(FGFJ)
- East Asian Regional Response to HIV/AIDS, Tuberculosis, and Malaria (FGFJ TOKYO, June 2005) (页面存档备份,存于互联网档案馆) 米国法人 日本国际交流センター(JCIE)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
- 阪大NOW 2007年4月号 トピックス 薮中外务审议官が卒业式で讲话 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 大阪大学
- 阪大ニューズレター 2007/Summer “地球上のさまざまな问题に向き合い、自分の専门分野で世界に贡献してほしい” 外务审议官 薮中三十二 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 大阪大学
- 外务次官に薮中氏 谷内氏留任を固辞 产経新闻 2007年12月27日
2008年(平成20年)
- 北朝鲜通、日本外交の表舞台へ (页面存档备份,存于互联网档案馆) 中央日报 2008年1月18日
- “薮中外交”について考える 2008-04-09 外务次官・薮中三十二氏とは何者か? (页面存档备份,存于互联网档案馆) 株式会社 原田武夫国际戦略情报研究所 公式ブログ
- 薮中外务事务次官による第4回アフリカ开発会议横浜开催记念讲演が开催されました 2008年5月 横浜市立大学
- 仙台市 2008年度分记者発表资料 “国际情势セミナー 今后の日本外交の课题と方向性”讲师略历[永久失效链接] 仙台市
- 日本外交の现状と课题“日本の国际戦略を考える” 基调讲演 (2008年11月5日 于: 早稲田大学)[永久失效链接] 早稲田大学総合研究机构 プロジェクト研究所
2009年(平成21年)
- 百年超の历史、事务次官会议に幕 トップ官僚の感想 朝日新闻 2009年9月14日
外部链接
- (日语)事务次官会见记录(要旨) (页面存档备份,存于互联网档案馆) 日本国外务省