胜田吉太郎
胜田吉太郎 | |
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出生 | 1928年2月5日 |
逝世 | 2019年7月22日 (91岁) 京都市 |
母校 | |
职业 | 政治学家、大学教师 |
胜田吉太郎(1928年2月5日—2019年7月22日)[1]是一名日本政治学家、京都大学・奈良县立大学名誉教授,也是铃鹿国际大学名誉校长。专长为研究俄罗斯政治思想史、俄罗斯精神史、无政府主义。
出生于爱知县名古屋市,曾师从刑法学专家泷川幸辰(政治思想史讲座前任的担当者为恒藤恭)。
简历
1951年,毕业于京都大学法学部,其后成为同学科的助手,1954年升任助理教授,1962年3月在京都大学以“近代俄罗斯政治思想史 西欧主义和斯拉夫主义”(“近代ロシヤ政治思想史 西欧主义とスラブ主义”)为题的论文取得法学博士[2]。1964年7月升任教授,1991年定年退官,改任名誉教授、奈良县立商科大学(后被改编为奈良县立大学)校长,1994年又转人铃鹿国际大学学长,2000年担任教育改革国民会议委员,2002年从铃鹿国际大学退职,改为担任名誉校长[3]。2004年获颁瑞宝重光章[4]。2019年7月22日,由于自然衰老的原因去世,终年91歳[1]。叙正四位[5]。
活动
- 罗斯法典是他作为现代研究者的起点,但日后以近代俄罗斯精神史研究而闻名
- 有关无政府主义的研究中,强调国家是根源的恶,无论是民主主义国家还是社会主义国家本质上都是恶。
- 1970年代起在保守派媒体有不少发言,产经文化人的代表之一。但在2000年的久保事件中,由于辞退在三重时报就历史问题和部落问题发表保守见解的铃鹿国际大学教授久保宪一,饱受保守阵营的批评。胜田は在2002年3月,由于高龄的原因辞任铃鹿国际大学校长一职,但其后继续在同一大学执教。
门下生
著作
- ‘近代ロシヤ政治思想史―西欧主义とスラヴ主义’创文社、1961年
- ‘革命とインテリゲンツィヤ’筑摩书房、1966年、新装版1974年
- ‘アナーキスト-ロシア革命の先駆’筑摩书房(新书判)、1966年/社会思想社〈现代教养文库〉、1974年
- ‘ドストエフスキー’潮出版社〈潮新书〉、1968年
- ‘知识人と自由’纪伊国屋书店、1969年
- ‘革新の幻想-社会主义を问い直す’讲谈社、1973年
- ‘革命の神话-社会主义に未来はあるか’讲谈社、1976年
- ‘现代社会と自由の运命’木铎社、1978年
- ‘人类の知的遗产49 バクーニン’讲谈社、1979年
- ‘民主主义の幻想-“灭公奉私”の日本人’日本経済新闻社、1980年
- ‘平和宪法を疑う’讲谈社、1981年
- ‘平和病日本を撃つ’ダイヤモンド社、1982年
- ‘败戦后遗症シンドローム’日本教文社、1983年
- ‘神なき时代の预言者 ドストエフスキーと现代’日本教文社、1984年、上记(潮版)の増补改题版
- ‘宰相论’讲谈社、1986年
- ‘民主主义の幻想’日本教文社〈教文选书〉、1986年、上记の増补改订版
- ‘时を読む 胜田吉太郎の警世嗟言’产业新潮社ブックレット、1988年
- ‘民主教育の落し穴 戦后世俗化の风土を斩る!!’善本社 1989年
- ‘胜田吉太郎著作集’全8巻 ミネルヴァ书房、1992~94年
- 近代ロシヤ政治思想史 上
- 近代ロシヤ政治思想史 下
- 知识人と社会主义
- アナーキスト
- 革命の神话
- 现代社会と自由の运命
- 戦后イデオロギーの解剖
- 民主主义の幻想
- ‘思想の旅路 神なき世纪の悲剧を见つめて’日本教文社〈教文选书〉、1998年
- ‘文明の曲がり角’ミネルヴァ书房、2002年
- ‘核の论理再论-日本よ、どこへ行く’ミネルヴァ书房、2006年
- ‘甦るドストエフスキーの世纪 现代日本への警钟’ミネルヴァ书房、2010年
- ‘ドストエフスキー’第三文明社、2014年
其他共著
- 村松刚と対谈 ‘一つの时代の终わりに-世界史のなかの近代日本’日本教文社〈教文选书〉、1986年
- ‘日本は侵略国家ではない’ 善本社ブックレット、1993、编著
其他翻译
- ‘ソヴェトの政治 内政と外交’ フレデリック・シューマン、坂本义和・渡边一共訳 岩波书店 1956-57
- ‘世界の名著 第42 プルードン、バクーニン、クロポトキン’ 猪木正道共编・解说 中央公论社 1967