伊號第百五十八潛艦
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艦歷 | |
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計劃 | 大正12年度艦艇補充計畫 |
開工 | 1924年12月3日 |
下水 | 1925年10月3日 |
就役 | 1928年3月15日 |
除籍 | 1945年11月30日 |
結局 | 1946年4月1日 在五島列島海域遭爆破處分 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1635噸 常備:1800噸 水中:2300噸 |
全長 | 100.58米 |
全寬 | 7.98m |
吃水 | 4.83m |
動力 | 蘇爾壽公司[1]3號柴油機2基2軸 水上:6800馬力 水中:1800馬力 |
速度 | 水上:20.0節 水中:8.0節 |
續航距離 | 水上:10節下10000海里 水中:3節下90海里 |
燃料 | 重油:241.8噸 |
乗員 | 63名 |
兵裝 | 40口徑十一年式12cm單裝砲1門 留式7.7mm機槍1挺 53cm魚雷發射管 艦首6門、艦尾2門 六年式魚雷16枚 K真空管(聲音測位器) |
備註 | 安全潛航深度:60m |
伊號第一五八潛水艦(日語:いごうだいひゃくごじゅうはちせんすいかん)是日本海軍的一艘潛水艦,伊一五三型潛水艦(海大III型a)的4號艦。竣工時的艦名為伊號第五八潛水艦(初代)。
艦歷
- 1924年(大正13年)12月3日 - 在橫須賀海軍工廠開工建造。
- 1925年(大正14年)10月3日 - 下水
- 1928年(昭和3年)3月15日 - 竣工。編入第19潛水隊[2]。
- 1932年(昭和7年)6月1日 - 同年12月起作為預備艦[2]。
- 1933年(昭和8年)11月1日 - 1936年12月作為預備艦[2]。
- 1936年(昭和11年)7月23日 - 停泊於寺島水道中時,遭遇強烈台風而觸礁。31日離礁,返回吳工廠進行修理,其間,於同年12月在此作為預備艦[2]。
- 1941年(昭和16年)12月1日 - 配屬至第4潛水戰隊第19潛水隊,從三亞出航。參加馬來亞戰役[3]。
- 1942年(昭和17年)1月3日 - 擊沉荷蘭船「LANGKOEAS」(05°S 112°E / 5°S 112°E)[4]。
- 1月9日 - 擊沉荷蘭商船「CAMPHUYS」(04°30′S 111°47′E / 4.500°S 111.783°E)[4]。
- 2月7日 - 從金蘭灣出航,在爪哇南方海面活動[3]。
- 2月22日 - 在印尼芝拉扎海域擊沉荷蘭客船「PIJNACKER HORDIJK」[4]。
- 2月25日 - 在巽他海峽南口擊沉荷蘭船「BOEROE」。[4]。
- 2月28日 - 擊破英國油船「BRITISH JUDGE」[4]。
- 3月8日 - 抵達西里伯斯島凝望灣[3]。
- 3月10日 - 編入第5潛水戰隊第19潛水隊[3]。
- 3月20日 - 在吳入港[3]。
- 5月14日 - 離開吳港
- 5月20日 - 改名為伊號第一五八潛水艦。
- 5月24日 - 抵達夸賈林環礁
- 5月26日 - 參加中途島海戰,與伊156、伊157、伊159、伊162、伊165以及伊166一同被編入第5潛水戰隊,伊158離開夸賈林環礁。第5潛水戰隊在28°20′N 162°20′W / 28.333°N 162.333°W至26°00′N 165°00′W / 26.000°N 165.000°W之間被殲滅[3]。
- 6月19日 - 回到夸賈林環礁
- 6月30日 - 離開夸賈林環礁回國
- 6月30日 - 回到吳港[3]。
- 7月10日 - 第5潛水戰隊被解散,第19潛水隊被編入吳鎮守府部隊。之後被作為練習艦[3]。
- 1943年(昭和18年)3月16日 - 作為水上艦艇用補足電探験艦[2]。
- 1945年(昭和20年)4月20日 - 編入第6艦隊第34潛水隊[3]。
- 8月15日 - 編入第15潛水隊,並迎來終戰[3]。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 在五島列島海域遭美軍爆破處分[5]。
歴代艦長
艤裝員長
- 不詳
艦長
- 関本織之助 少佐:1928年5月15日 -
- 秋山勝三 少佐:1929年11月1日 - 1930年11月15日
- 伊藤尉太郎 少佐:1930年11月15日 - 1930年12月1日
- 福澤常吉 少佐:1930年12月1日 - 1931年11月14日
- 中島千尋 少佐:1931年11月14日 - 1932年12月1日
- 今里博 少佐:1932年12月1日 - 1932年12月27日
- 宮崎武治 少佐:1933年1月21日 - 1934年10月22日
- (兼)玉木留次郎 少佐:1934年10月22日 - 1935年5月10日
- 山田隆 少佐:1935年7月3日 - 1936年12月1日
- 浜野元一 少佐:1936年12月1日 -
- 宮崎武治 中佐:1937年10月15日 - 1939年1月1日
- (兼)楢原省吾 中佐:1938年12月15日 - 1939年2月20日
- 楢原省吾 中佐:1939年2月20日 - 1940年10月30日
- 中川肇 少佐:1940年10月30日 -
- 北野惣七 少佐:1941年10月31日 -
- 大塚范 少佐:1942年7月25日 -
- 橋本以行 少佐:1943年3月16日 -
- 竹內義正 少佐:1943年7月25日 -
- 荒井淳 大尉:1944年1月20日 -
- 增澤清司 大尉:1944年4月30日 -
- 鄉康夫 大尉:1944年10月14日 -
- 館山武裕 大尉:1945年2月5日 -
註釋
- ^ スイス・SULZER社。英語読みではスルザー。
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 《艦長たちの軍艦史》424-425頁。
- ^ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 《ハンディ版 日本海軍艦艇寫真集19卷》71-72頁。
- ^ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 《日本海軍の潛水艦 - その系譜と戦歴全記録》97頁。
- ^ 《日本海軍史》第7卷、354頁。
相關條目
- 伊號第五八潛水艦(二代)
- 潛水艦
- 大日本帝國海軍 | 大日本帝國海軍艦艇列表
參考文獻
- 「丸」雜誌編輯部《ハンディ版 日本海軍艦艇寫真集19卷》潛水艦伊號、光人社、1997年。
- 勝目純也《日本海軍の潛水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵畫、2010年。
- 海軍歴史保存會《日本海軍史》第7卷、第9卷、第10卷、第一法規出版、1995年。
- 外山操《艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9