中村政則
中村政則 | |
---|---|
母校 | |
職業 | 歷史學家 |
此條目翻譯品質不佳。 (2018年6月19日) |
中村 政則(1935年12月17日—2015年)是一名日本歷史學家,專門為日本近現代史。一橋大學名譽教授,被成為「最後的講座派」教授,曾經擔任牛津大學客席教授等職位。
人物
出生於東京都新宿,祖父出身於埼玉縣。1961年畢業於一橋大學商學部,1963年修畢一橋大學大學院經濟學研究科修士課程修了、66年同博士課程單位修得退學,取得一橋大學經濟學博士。大學時代屬曲棍球部,師從一橋大日本經濟史講座斷絕後到任的古島敏雄(兼為指導教官)、永原慶二[1][2][3]。
1966年起擔任一橋大學經濟學部専任講師,1970年起同助教授、1977年同教授、1979年擔任哈佛大學東亞研究中心客員研究員、81年以「近代日本地主制史研究 資本主義と地主制」為題取得經濟學博士。89年擔任牛津大學日產日本研究所及聖安東尼學院客員教授。1994年一橋大學附屬圖書館館長。1999年一橋大定年退官、名譽教授、牛津大學客員研究員、2000年哈佛大學客員研究員、2001年起直到2006年擔任神奈川大學經濟學部・大學院歷史民俗資料學研究科歴史民俗資料學專任特任教授[4]。
國立歷史民俗博物館展示計劃委員(新常設展示室「現代」擔當)。沖繩島戰役中的集體自殺問題で、「最高裁でまだ判決が出ていないので、慎重にするべきだ」と発言(→大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判、家永教科書裁判)、展示から軍命や強制があったとする説明が削除される一因を作り、高嶋伸欣から「大いに反省すべき」、林博史から「レベルが問われる」など、批判を受けた[5]。
在太平洋戰爭期間,作為淀橋第三國民學校(現新宿區立西新宿小學校)在學中的學生到草津町旅館日新館學童疎開。日本投降後返回新宿被5月27日東京大空襲燒毀、不在復見的自宅敷地以及2公里以外的伊勢丹百貨,這種經驗讓他擔任「九條科學者の會」的召集人[6]。
2011年頃から體調を崩していたが、[7]2015年、肺がんのため東京都內の病院死去し、府中の森市民聖苑で葬儀が行われた[8]。79歳沒。
研究會學生
指導學生包括大門正克(橫浜國立大學教授)、森武麿(一橋大學名譽教授)、疋田康行(立教大學名譽教授)、佐藤正広(一橋大學教授)、庄司俊作(同志社大學教授)[9][10]、淺井良夫(成城大學教授)[11]、千田稔(イオンド大學教授)[12]、柴田善雅(大東文化大學教授)、西成田豊(一橋大學名譽教授)[13]、松本俊郎(岡山大學教授)[14]、鈴木恆夫(學習院大學教授)[15]などがいる。大枝宏之(日清製粉グループ本社社長)、田中全(元四萬十市市長)[16][17][18]、大竹愼一(ファンドマネージャー)[19]なども中村ゼミ出身。
著書
単著
- 『日本の歴史 29 労働者と農民』(小學館 1976年)
- 改題 『日本史の社會集団 第7巻 労働者と農民』(小學館・文庫判 1990年)
- 改題 『労働者と農民 日本近代をささえた人々』 (小學館ライブラリー 1998年)
- 『近代日本地主制史研究――資本主義と地主制』(東京大學出版會 1979年)
- 『昭和の歴史(2) 昭和の恐慌』(小學館 1982年/小學館・文庫判 1988年/小學館ライブラリー 1994年)
- 『日本近代と民衆――個別史と全體史』(校倉書房 1984年)
- 『象徴天皇制への道――米國大使グルーとその周辺』(岩波新書 1989年)
- The Japanese Monarchy: Ambassador Joseph Grew and the Making of the "Symbol Emperor System," 1931-1991
trans. by Herbert P. Bix, Jonathan Baker-Bates and Derek Bowen, (M. E. Sharpe, 1992).
- 『シリーズ昭和史(1) 昭和恐慌』(岩波ブックレット 1989年)
- 『戦後史と象徴天皇』(岩波書店 1992年)
- 『歴史のこわさと面白さ』(築摩書房〈ちくまプリマーブックス〉 1992年)
- 『岩波市民大學 人間の歴史を考える(11) 経済発展と民主主義』(岩波書店 1993年)
- 『現代史を學ぶ――戦後改革と現代日本』(吉川弘文館 1997年)
- 『近現代史をどう見るか――司馬史観を問う』(岩波ブックレット 1997年)
- 『明治維新と戦後改革――近現代史論』(校倉書房 1999年)
- 『戦後史』(岩波新書 2005年)
- 『昭和の記憶を掘り起こす――沖縄、満州、ヒロシマ、ナガサキの極限狀況』(小學館 2008年)
- 『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店 2009年)
- 『オーラル・ヒストリーの可能性 東京ゴミ戦爭と美濃部都政』(神奈川大學評論ブックレット:御茶の水書房 2011年)
共著
編著
- 『體系日本現代史(4)戦爭と國家獨佔資本主義』(日本評論社 1979年)
- 『技術革新と女子労働』(國際連合大學 1985年)
- 『シリーズ昭和史(15)年表昭和史』(岩波ブックレット 1989年/増補版, 2004年)
- 『日本の近代と資本主義――國際化と地域』(東京大學出版會 1992年)
- Technology Change and Female Labour in Japan, (United Nations University Press, 1994).
- 『近代日本の軌跡(6)佔領と戦後改革』(吉川弘文館 1994年)
- 『近現代日本の新視點――経済史からのアプローチ』(吉川弘文館 2000年)
共編著
- (江村榮一)『國権と民権の相剋』(三省堂 1974年)
- (石井寛治・海野福壽)『近代日本経済史を學ぶ(上・下)』(有斐閣 1977年)
- (山極晃)『資料日本佔領(1)天皇制』(大月書店 1990年)
- (高村直助・小林英夫)『戦時華中の物資動員と軍票』(多賀出版 1994年)
- (油井大三郎・豐下楢彥)『佔領改革の國際比較――日本・アジア・ヨーロッパ』(三省堂 1994年)
- (天川晃・尹健次・五十嵐武士)『戦後日本――佔領と戦後改革(全6巻)』(岩波書店 1995年)
- (永原慶二)『歴史家が語る戦後史と私』(吉川弘文館 1996年)
- (南亮進・西澤保)『デモクラシーの崩壊と再生――學際的接近』(日本経済評論社 1998年)
翻譯書
- トーマス・A・ビッソン『ビッソン日本佔領回想記』(三浦陽一共訳)(三省堂 1983年)
- アンドルー・ゴードン編『歴史としての戦後日本』(みすず書房 2001年)
參考資料
- ^ 安丸良夫・佐々木潤之介「日本史」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)
- ^ 「昭和46年度 學位授與・単位修得論文」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)一橋研究
- ^ 存档副本 (PDF). [2018-06-19]. (原始內容存檔 (PDF)於2018-03-28).
- ^ 存档副本 (PDF). [2018-06-19]. (原始內容 (PDF)存檔於2018-04-23).
- ^ 「またか」體験者怒り 博物館「集団自決」軍関與削除 識者 経緯無視と批判 係爭中理由 委員が助言 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)沖縄タイムス2010年3月9日
- ^ 「講師 中村政則 氏 - 京都府生活協同組合連合会」 (PDF). [2018-06-19]. (原始內容存檔 (PDF)於2019-05-15).
- ^ 「九条科学者の会」呼びかけ人メッセージ (2005.3.13). [2018-06-19]. (原始內容存檔於2018-06-25).
- ^ 一橋大名譽教授の中村政則さん死去 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館) 朝日新聞 2015年8月6日
- ^ 「昭和56年 學位授與・単位修得論文一」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)一橋研究
- ^ 「昭和55年度 學位授與・単位修得論文一覧」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)一橋研究
- ^ 「昭和47年度 学位授与・単位修得論文」 (PDF). [2018-06-19]. (原始內容存檔 (PDF)於2018-06-12).
- ^ 「昭和48年度 學位授與・単位修得論文」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)一橋研究
- ^ 「昭和52年度 學位授與・単位修得論文」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)一橋研究
- ^ 存档副本 (PDF). [2018-06-19]. (原始內容存檔 (PDF)於2018-06-12).
- ^ 存档副本 (PDF). [2018-06-19]. (原始內容存檔 (PDF)於2018-06-12).
- ^ 「疋田康行先生の人と学問」. [2018-06-19]. (原始內容存檔於2017-12-31).
- ^ 「追悼 中村政則先生」. [2018-06-19]. (原始內容存檔於2018-06-12).
- ^ 橫関至「永江雅和著『食糧供出制度の研究――食糧危機下の農地改革』」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館)
- ^ 存档副本 (PDF). [2018-06-19]. (原始內容存檔 (PDF)於2018-03-28).