敦實親王
敦實親王 | |||||||||||||||||||
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日本親王 | |||||||||||||||||||
國家 | 大和王朝 | ||||||||||||||||||
時代 | 平安時代初期及中期 | ||||||||||||||||||
姓 | (無) | ||||||||||||||||||
名 | 敦實 | ||||||||||||||||||
封爵 | 親王 | ||||||||||||||||||
法號 | 覺真 | ||||||||||||||||||
出生 | 寬平五年(893年) | ||||||||||||||||||
逝世 | 康保四年三月初二(967年4月14日(74歲)) | ||||||||||||||||||
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日語寫法 | |
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日語原文 | 敦実親王 |
假名 | あつみしんのう |
平文式羅馬字 | Atsumi shin nō |
敦實親王(893年—967年4月14日),是日本平安時代初期及中期的皇族,生父母是宇多天皇及贈皇太后藤原胤子,醍醐天皇的同母弟。官位為一品式部卿,有六條宮之稱。
經歷
延喜七年(907年)在宇多院元服及親王宣下,敘三品[1]。及後歷任上野太守、中務卿、式部卿,最後敘一品。
天曆四年(950年)出家,法名覺真,於仁和寺居住。康保四年(967年)三月初二逝世,享年75歲(虛歲)[2]。
人物
他是宇多天皇眾皇子中除醍醐天皇外唯一活得到中年的人。他精通和歌、管弦、蹴鞠,而《後撰和歌集》中的和歌作品有1首是他的作品[3]。
系譜
(54)仁明天皇 | (55)文德天皇 | (56)清和天皇 | (57)陽成天皇 | 元良親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟喬親王 | 貞純親王 | (源)經基〔清和源氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(58)光孝天皇 | (59)宇多天皇 | (60)醍醐天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人康親王 | 操子女王 (藤原基經妻) | 真寂法親王 (齊世親王) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
敦實親王 | (源)雅信〔宇多源氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||