成羽藩
成羽藩 | |
---|---|
别称 | 成羽领 |
日语汉字 | 成羽藩 |
平假名 | なりわはん |
罗马拼音 | Nariwa-han |
所在地 | 备中国川上郡成羽 |
藩厅 | 成羽阵屋 |
伺候席 | |
人口 | 16,619人 |
成羽藩(日语:成羽藩/なりわはん Nariwa-han */?)是日本备中国川上郡成羽的藩[注 1],元和3年(1617年)7月创藩,宽永15年4月14日(1638年5月27日)废藩,宽永16年6月5日(1639年7月5日)再次创藩,宽永19年7月28日(1642年8月23日)废藩,庆应4年6月20日(1868年8月8日)第三次创藩,明治4年7月14日(1871年8月29日)再次废藩[2][3]。
石高在高峰期是50,000石,藩厅是成羽阵屋,藩校创建于文政年间(1818年至1830年),称为劝学所,庆应3年(1867年)改称文武馆,明治2年(1869年)再改称为确挚校,人口在明治时是3,514户16,619人。武家屋敷方面,山崎家时期江户藩邸上屋敷位于麻布一本松和麻布西町,下屋敷位于麻布白金,藏屋敷则位于中之岛[2][3][注 2]。
历史
元和3年(1617年)7月,山崎家治从因幡若樱藩以30,000石入主成羽,领地涵盖备中国哲多郡、川上郡、后月郡、浅口郡、吉备郡和摄津国东成郡。元和5年6月20日(1619年7月30日),家治奉命驻守三原城。翌年,他奉命参与大坂城石垣的普请,直至宽永4年(1627年)完工为止。宽永6年(1629年),他成功在领地连岛围垦新田北面新田[注 3]。宽永11年(1634年),他奉命驻守松山城。宽永13年正月8日(1636年2月14日),他又奉命参与江户城石垣的普请。宽永15年4月14日(1638年5月27日),他凭其在任时的功绩获加增至肥后富冈藩40,000石[2]。
家治转封后,成羽改由备中松山藩池田家驻守。宽永16年6月5日(1639年7月5日),水谷胜隆从常陆下馆藩以50,000石入主成羽,领地是川上郡和播磨国美囊郡。在这之前,家治以三村家亲兴建的御茶屋作为阵屋,胜隆上任后弃用御茶屋,并且打算迁居至成羽川以北的鹤首山南麓,以当地为中心与建阵屋町。宽永17年(1640年),胜隆也在领内实施检地,又视察王岛至成羽的航道[注 4],并且亲自前往连岛构想开垦新田。然而,他在宽永19年7月28日(1642年8月23日)转封至备中松山藩,成羽藩的领地变为幕府领[2][3]。
万治元年(1658年)5月,家治次子山崎丰治作为交代寄合以5,000石入主成羽[2]。他在鹤首山北麓兴建阵屋,并且将成羽川改流至北面[8]。庆应4年6月20日(1868年8月8日)[2],山崎家在成羽经历十代统治后[9],山崎治正前往江户上奏石高由于开垦连岛而有所增加,并且获准调整石高至约12,746石,成羽藩再次成立,明治2年6月16日(1869年7月24日)获新政府承认,上屋敷也迁至麻布西町。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[2]。
历任藩主
家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 领地 |
---|---|---|---|---|
山崎家 | 外样 阵屋 |
山崎家治 | 30,000石 | 备中国哲多郡、川上郡、后月郡、浅口郡和吉备郡 摄津国东成郡 |
水谷家 | 水谷胜隆 | 50,000石 | 备中国川上郡 播磨国美囊郡 | |
山崎家 | 交代寄合 | 山崎丰治 | 5,000石 | 备中国川上郡和浅口郡 |
山崎义方 | ||||
山崎尧治 | ||||
山崎信盛 | ||||
山崎义俊 | ||||
山崎义孝 | ||||
山崎义苗 | ||||
山崎义德 | ||||
山崎义高 | ||||
山崎义柄 | ||||
外样 阵屋 |
山崎治正 | 5,000石 ↓ 12,746石
| ||
山崎治祇 | 12,746石 | |||
山崎治敏 |
领地
令制国 | 郡 | 领地 |
---|---|---|
备中国 | 浅口郡 | 西之浦村、矢柄村、鹤新田村、龟岛新田村 |
川上郡 | 成羽村、福地村、原田村、下日名村、上日名村、水名村、增原村、上黑忠村、下黑忠村、三泽村、上大竹村、下大竹村、布濑村、腊数村、佐佐木村、羽根村、羽山村、下原村、大原村、福松新开 |
注解
参考资料
- ^ 1.0 1.1 1.2 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、谷口澄夫、石田宽 (编). 成羽・連島・矢柄・西之浦・北面新田・王島村・松江・呼松. 角川日本地名大辞典 岡山県. 角川日本地名大辞典 33 日本文学Web図書館. 角川书店. 1989-07-08. ISBN 4-040-01330-1 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 朝森要. 成羽藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 中国・四国編 6 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 255–261. ISBN 4-639-10034-5 (日语).
- ^ 3.0 3.1 3.2 朝森要. 成羽藩. 藩主人名事典编纂委员会 (编). 三百藩藩主人名事典 4. 新人物往来社. 1986-06-10: 110–111 [2024-08-04]. 国立国会图书馆书志ID:000001800715. (原始内容存档于2024-08-04) (日语).
- ^ 俵元昭、榎本纪子、平田秀胜、左右田昌幸. 麻布一本松町. 儿玉幸多、石冢裕道、小川信、北原进、坂诰秀一、段木一行、森田悌、吉原健一郎 (编). 東京都の地名. 日本历史地名大系 13 JapanKnowledge. 平凡社. 2002-07-01. ISBN 4-582-49013-1 (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次 (编). 西町〈港区〉. 角川日本地名大辞典 東京都. 角川日本地名大辞典 13 日本文学Web図書館. 角川书店. 1978-10-27. ISBN 4-040-01130-9 (日语).
- ^ 安部晃司、陶木友治、仲藤里美. 成羽藩. 江戸三百藩 まるごとデータブック. 人文社. 2007-04: 118. ISBN 978-4-795-91750-7 (日语).
- ^ 胁田修、内田九州男、相苏一弘、今井修平、本城正德、渡边忠司、薮田贯、村田路人、山口之夫、中尾芳治、服部昌之. 中之島上之鼻. 直木孝次郎、森杉夫、大月明、河音能平、田代克己、户田芳实、服部昌之、福岛雅藏、三浦圭一、山口之夫、吉田晶、胁田修 (编). 大阪府の地名. 日本历史地名大系 28 JapanKnowledge. 平凡社. 1986-02-07. ISBN 4-582-49028-X (日语).
- ^ 田村启介. 成羽藩陣屋跡. 藤井骏、加原耕作、高桥护、长光德和、人见彰彦、藤井学、三好基之、吉田晶 (编). 岡山県の地名. 日本历史地名大系 34 JapanKnowledge. 平凡社. 1988-04-20. ISBN 4-582-49034-4 (日语).
- ^ 9.0 9.1 永山卯三郎 (编). 成羽藩主 山崎氏. 倉敷市史 6. 名著出版. 1986-06-10: 718–719 [2024-08-08]. 国立国会图书馆书志ID:000001231316. (原始内容存档于2024-08-08) (日语).
- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2024-08-03]. (原始内容存档于2020-11-25) (日语).