高濑藩
高濑藩 | |
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别称 |
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日语汉字 | 高瀬藩 |
平假名 | たかせはん |
罗马拼音 | Takase-han |
创藩日期 | 宽文6年7月21日(1666年8月21日) |
创藩理由 | 新田分知 |
所在地 | 日本肥后国玉名郡高濑 |
藩厅 | 高濑藩阵屋 |
大名家 | 细川家 |
伺候席 | 柳间 |
石高 | 35,000石 |
废藩日期 | 明治3年9月4日(1870年9月28日) |
高濑藩(日语:高瀬藩/たかせはん Takase-han */?),又称肥后新田藩(日语:肥後新田藩/ひごしんでんはん Higo-Shindenhan */?)或熊本新田藩(日语:熊本新田藩/くまもとしんでんはん Kumamoto-Shindenhan */?),为日本肥后国玉名郡高濑的藩[注 1],宽文6年7月21日创藩(1666年8月21日),明治3年9月4日(1870年9月28日)废藩,原本是熊本藩的一部分,石高是35,000石[2][3],藩厅是高濑藩阵屋[4]。
历史
宽文6年7月21日(1666年8月21日),细川利重获其兄熊本藩藩主细川纲利新田分知35,000石,均为藏米知行,不设知行地,藩主也是定府,因此反过来当藩主到访熊本时会前往设于盐屋町的出府所[注 2][2][7]。最初的江户藩邸上屋敷位于辰之口东,始于宽文6年(1666年)7月,元禄11年11月18日(1698年12月19日)转移至芝新堀端,正德3年9月19日(1713年11月6日)被收回,享保5年5月13日(1720年6月18日)拜领铁炮洲上屋敷[注 3][10]。
本所中之乡中屋敷相对替自正德3年5月30日(1713年6月22日),天明4年10月10日(1784年11月22日)部分转移至拜领于元文4年12月25日(1740年1月23日)的铁炮洲中屋敷后改作下屋敷,元治年间(1864年至1865年)或以前又拜领深川元町中屋敷。本所大川端下屋敷拜领自天和年间(1681年至1684年)或以前,元禄13年12月21日(1701年1月29日)转移至南本所小名木川端,南本所小名木川端下屋敷在正德3年5月30日部分相对替至本所中之乡中屋敷,元文4年12月25日又相对替至铁炮洲中屋敷。另外,大崎村抱屋敷先后在享保10年12月27日(1726年1月29日)、享保11年3月13日(1726年4月14日)以及享保13年2月29日(1728年4月8日)分三次被收回。此外,藏屋敷则位于堂岛新地三丁目[注 4][2][10]。
庆应3年(1867年),铁炮洲成为外国人居留地,中之乡的藩邸变成本邸。庆应4年3月14日(1868年4月6日),为了从江户避难,藩主细川利永包了一艘荷兰船前往熊本藩邸所在地京都壬生,并且停留于地藏院。利永在向当时行幸至大坂的天皇宣誓勤王后,也获新政府军批准其返回熊本藩。同年4月,利永重返熊本藩,其后在7月29日(9月15日)进驻玉名郡高濑町奉行屋敷。同年10月,在高濑西北面岩崎村的岩崎原约10町(约0.1平方公里)田地范围内兴建阵屋[注 5],并且在四周兴建297户住宅。明治2年(1869年)11月,高濑藩奉命与宇土藩一同在大原口戒备[1][2][13]。明治3年5月26日(1870年6月24日),住处从高濑转移至岩崎[4]。同年9月4日(9月28日),利永奉命前往东京定居,家臣交予熊本藩,自此废藩[3]。
历任藩主
家名 | 家格 | 名称 | 石高 |
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细川家 | 外样(定府) | 细川利重 | 35,000石 |
细川利昌 | |||
细川利恭 | |||
细川利宽 | |||
细川利致 | |||
细川利庸 | |||
细川利国 | |||
细川利爱 | |||
细川利用 | |||
外样 阵屋 |
细川利永 |
注解
参考资料
- ^ 1.0 1.1 1.2 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、岩本政教、铃木乔、谷川宪介、花立三郎、原口长之、森下功、森山恒雄 (编). 高瀬藩・高瀬・岩崎. 角川日本地名大辞典 熊本県. 角川日本地名大辞典 43 日本文学Web図書館. 角川书店. 1987-12-08. ISBN 4-040-01430-8 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 松本寿三郎. 熊本新田支藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 九州編 7 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 239–240. ISBN 4-639-10040-X (日语).
- ^ 3.0 3.1 细川家编纂所 (编). 明治三年九月四日. 肥後藩国事史料 10. 国书刊行会. 1974-04-25: 616–617 [2023-08-06]. 国立国会图书馆书志ID:000001217170. (原始内容存档于2023-08-06) (日语).
- ^ 4.0 4.1 桑原宪彰、田边哲夫. 高瀬藩陣屋. 铃木乔 (编). 熊本の城. 熊本の風土とこころ 10. 熊本日日新闻社. 1975-07-10: 88–89 [2023-08-06]. 国立国会图书馆书志ID:000001328518. (原始内容存档于2023-08-06) (日语).
- ^ 熊本県熊本市中央区新町二丁目. 人文学开放数据共同利用中心 (日语).
- ^ 城后尚年、松井顺子、水野公寿、森山恒雄. 塩屋町. 松本雅明、工藤敬一、隈昭志、花冈兴辉、松本寿三郎、森山恒雄 (编). 熊本県の地名. 日本历史地名大系 44 JapanKnowledge. 平凡社. 1985-03-25. ISBN 4-582-49044-1 (日语).
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