天手长男神社
33°45′51″N 129°42′09″E / 33.764139°N 129.7025°E
天手长男神社 | |
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天手長男神社/あめのたながおじんじゃ あまのたながおじんじゃ Amenotanagao-jinja Amanotanagao-jinja | |
基本信息 | |
位置 | 日本长崎县壹岐市乡之浦町田中触730 |
宗教 | 神道 |
主祭神 | |
例祭 | 10月16日 |
社格 | |
本殿构造 | 流造 |
地图 | |
天手长男神社(日语:天手長男神社/あめのたながおじんじゃ Amenotanagao-jinja或あまのたながおじんじゃ Amanotanagao-jinja)是日本长崎县壹岐市乡之浦町田中触的神社,社格是名神大社(论社)、壹岐国一宫和村社[1][2]。氏子方面,根据《式内社调查报告》记载是135户,分布于柳田触、物部触、木田触和田中触[3]。
位置与名称
神社位于壹岐岛中部的西南边,地处钵形山(钵形岭)之上,同时也是弥生时代遗迹钵形山遗迹以及钵形城的所在地[4][5]。行政区划方面,神社原属壹岐国石田郡物部乡,后为物部庄、物部村(又称中通村、樱江村或柳田村)、柳田村和乡之浦町[6],字是钵形山[4]。
神社原本称为若宫,根据《壹岐神名记》记载是式外社,为《神名品书》中记载的田中若宫四所的明神,当初不过是一座小祠。延宝4年6月1日(1676年7月11日),橘三喜以当地出土弥生土器等文物为由,将神社视为名神大社天手长男神社,推测理由是该处为田中的山丘,将田中丘的发音与手长男相题并论而来。此外,同为天手长男神社论社的尚有兴神社[3][5]。
历史
根据神社说法,神功皇后在出兵新罗时曾经停靠于此。根据《壹岐国神社志》记载,神功皇后以神社在其出兵新罗时有功而亲自进行祭事。嘉祥3年10月23日(850年11月30日),根据《日本文德天皇实录》记载,“天手长男”获列为官社。嘉祥4年(851年)正月,根据《壹岐国神社志》记载,神社获赐正六位上的神阶,其后在宽平9年(897年或898年)12月、天庆3年(940年)正月、永保元年(1081年)2月、永治元年(1141年)7月、治承4年(1180年或1181年)12月、元历2年(1185年)3月、建仁元年(1201年)2月、弘长元年(1261年)2月、建治元年(1275年)7月和永德元年(1381年)2月各升一阶。天安元年(857年)2月、天安2年(858年)4月和贞观5年(863年)3月,神社则先后获敕使前来奉币[1][5]。
延宝4年,当神社获橘三喜视为名神大社天手长男神社后,开始受到平户藩藩主的崇敬。根据《壹岐名胜图志》记载,神社在元禄元年(1688年)获藩主松浦镇信兴建宝殿和拜殿,民众也在翌年于神社种植松树、杉树和樱花树。元禄13年(1700年),神社获镇信寄进2石作为社领。宝永4年(1707年),龟冈城完工,藩主松浦栋为了向神社报赛而寄进两个钵。享保9年(1724年),神社获藩主松浦笃信重建宝殿。元文4年(1739年),社领增加至10石,并且获壹岐国内奉纳初穗10俵。宽政年间(1789年),根据松浦清的告文记载,神社当时有公方神乐米6升6合(约11.91升)、五谷成就米3斗(约54.12升)、初穗米3石(约541.17升)以及大神乐米9斗(约162.35升)。此外,每逢祭事藩主也会派人前来参拜,藩主进入领地时或是城代郡代交接时也一定会前来参拜神社。根据《壹岐国巡见之记》记载,藩主松浦曜也曾经在弘化2年(1845年)参拜神社[5][3]。
1879年9月6日,神社获列为村社。1910年10月25日,神社获列为神馔币帛料供进社[1]。1965年4月16日,天手长比卖神社、物部布都神社和若宫神社合祀至神社,促使栲幡千千姬命、稚日女尊、木花开耶姬命、丰玉姬命、玉依姬命、布都主命、仁德天皇、仲哀天皇、日本武尊和比卖大神也成为神社的祭神,同日淡岛神社也迁移至境内[3]。
境内
神社境内面积达175坪(约578.51平方米)[3],本殿是流造建筑[2]。宝殿、拜殿和社务所仓库均是瓦顶建筑,宝殿正面宽1.5间(约2.73米),长2间(约3.64米),拜殿正面宽2.5间(约4.55米),长4间(约7.27米),社务所仓库则是正面宽5间(约9.09米),长3.5间(约6.36米)。此外,境内尚有3座石鸟居6座石灯笼。境内社有淡岛神社,祭神是南市御前[3]。
参考资料
- ^ 1.0 1.1 1.2 长崎县神职会壹岐支会 (编). 柳田村ノ部 村社 天手長男神社. 壹岐國神社誌. 长崎县神职会壹岐支会. 1941-10-15: 25–27 [2023-09-28]. 国立国会图书馆书志ID:000000642222. (原始内容存档于2023-09-28) (日语).
- ^ 2.0 2.1 天手長男神社. 神社人. [2023-09-28]. (原始内容存档于2023-09-28) (日语).
- ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 山口麻太郎. 壹岐嶋 13 天手長男神社 名神大. 式内社研究会 (编). 式内社調査報告 西海道 筑前国・筑後国・豊前国・豊後国・肥前国・肥後国・日向国・大隅国・薩摩国・壱岐嶋・対馬嶋 24. 皇学馆大学出版部. 1978-03-20: 315–320. NCID BN00231541 (日语).
- ^ 4.0 4.1 永留久惠. 壱岐 天手長男神社・天手長比売神社・物部布都神社. 谷川健一 (编). 日本の神々—神社と聖地 九州 1. 白水社. 1984-04-10: 61–65. ISBN 4-560-02211-9 (日语).
- ^ 5.0 5.1 5.2 5.3 白石纯悟、须藤资隆、濑野精一郎. 天手長男神社・鉢形嶺・物部村. 濑野精一郎、越中哲也、片冈千鹤子、下川达弥、永留久惠、原田博二、本马贞夫 (编). 長崎県の地名. 日本历史地名大系 43 JapanKnowledge. 平凡社. 2001-10-24. ISBN 4-582-49043-3 (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、濑野精一郎、外山干夫 (编). 天手長男神社・物部・田中触. 角川日本地名大辞典 長崎県. 角川日本地名大辞典 42 日本文学Web図書館. 角川书店. 1987-07-08. ISBN 4-040-01420-0 (日语).