井上正也
井上正也 | |
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出生 | 1979年7月 (45岁) 堺市 |
母校 | |
职业 | 政治学家、历史学家 |
井上正也(1979年7月—)是一名日本的政治学家,目前担任成蹊大学法学部教授。专门为日本政治外交史。
略历
出身地是大阪府堺市,1998年毕业于大阪府立泉阳高等学校,2002年毕业于神户大学法学部法律学科。2009年毕业于同大学的法学研究科博士后期课程,取得政治学博士学位。指导教官是五百旗头真[1],论文名为“台湾問題と戦後日本の中国外交:『二つの中国』をめぐる構想と政策、1951~72年”[2]。
2007-08年担任宾夕法尼亚大学历史系访问学者,2009年起担任神户大学法学研究科専任讲师,2010年起担任香川大学法学部准教授,2015年起担任成蹊大学法学部准教授,2017年再升为教授。他以日本的对中政策史研究作为出发点,尝试从亚洲冷战的脉络全面地理解日本外交史[3],其中一项研究计划为高碕达之助文书的收集和整理[4]。
获奖经历
- 2008年 - 日本国际政治学会奖励奖
- 2011年 - 第40回吉田茂奖(‘日中国交正常化の政治史’)
- 2011年 - 第33回三得利学艺赏(政治・经济部门)(‘日中国交正常化の政治史’)
著书
单著
- ‘日中国交正常化の政治史’(名古屋大学出版会、2010年)
编纂史料
- 中岛敏次郎(中岛琢磨・服部龙二共编)‘外交证言录 日米安保・冲縄返还・天安门事件’(岩波书店、2012年)
- 朝海浩一郎(河野康子・村上友章共编)‘朝海浩一郎日记 付・吉田茂书翰’(千仓书房、2019年)
论文・部分执笔
- “日中LT贸易の成立と池田政権 1960-1962”‘六甲台论集. 法学政治学篇’ 53巻1号(2006年)
- “国连中国代表権问题と池田外交――国府‘分断固定化’构想をめぐって、1957~1964”‘神戸法学杂志’57巻1号(2007年)
- “第二次吉田书简与日台関系――台湾当局的対日戦略与自民党(1963-1964)”‘国际政治研究(北京大学国际関系学院)’29号(2008年)
- “吉田茂の中国‘逆浸透’构想――対中国インテリジェンスをめぐって、1952~1954年”‘国际政治’151号(2008年)
- "Yoshida Shigeru's 'Counter Infiltration' Plan against China: The Plan for Japanese Intelligence Activities in Mainland China 1952-1954", World Political Science Review, 5:1 (2009).
- “日中国交正常化交渉における台湾问题 1971~72年”小林道彦、中西寛编‘历史の桎梏を越えて――20世纪日中関系への新视点’(千仓书房、2010年)
- “日华平和条约の再検证――‘限定承认’论を中心に”‘近きに在りて’56号(2009年)
- “危机のなかの日米関系―1970年代(佐藤晋と共著)”日米协会编、五百旗头真・久保文明・佐々木卓也・蓑原俊洋监修‘もう一つの日米交流史’(中央公论新社、2012年)
- “対中戦略をめぐる日米の相克――中ソ対立を中心に”蓑原俊洋编‘“戦争”で読む日米関系100年――日露戦争から対テロ戦争まで’(朝日新闻出版、2012年)
- “国交正常化 1972年”高原明生・服部龙二编‘日中関系史 1972-2012 (I)政治’(东京大学出版会、2012年)
- “高碕达之助の対米工作と日中関系”香川大学法学部创设30周年记念论文集‘现代における法と政治の探求’(成文堂、2012年)
- “日中関系の形成――日华平和条约から日中平和友好条约まで”波多野澄雄编‘日本の外交(2)外交史 戦后编’(岩波书店、2013年)
- “日本から见た廖承志の対日工作――自民党亲中国派を中心に”王雪萍编‘戦后日中関系と廖承志―中国の知日派と対日政策’(庆应义塾大学出版会、2013年)
- “전후 일본-대만 관계와 보수정권―친대만파의 기원(戦后日华関系と保守政権――亲台湾派の起源)”‘아세아연구(アジア研究)’56권3호(2013年)
- “戦后日中関系の争点――安保・台湾・ソ连”‘孙文研究’52号(2013年)
参考资料
- ^ 细谷雄一×井上正也““戦后の日本外交を振り返る”” (页面存档备份,存于互联网档案馆)国际政治チャンネル#76
- ^ 博士论文书志データベース
- ^ Researchmap 井上正也 (页面存档备份,存于互联网档案馆)自己绍介より
- ^ 戦後日本の経済外交の再検討― 高碕達之助関係文書を中心に(サントリー文化財団研究助成). [2021-06-20]. (原始内容存档于2016-03-20).