佐藤振寿
佐藤振寿 (1913年2月20日—2008年9月4日),日本新闻记者,摄影记者。
生平
1913年出生在日本东京,1932年进入东京日日新闻社(每日新闻社前身)摄影部工作。1937年9月到1938年2月在淞沪会战以及南京保卫战中担任随军摄影师,拍摄到大量战争照片。佐藤振寿工作时必须出示随军许可证。而且是在不妨碍军队的条件下,才被允许拍照。[1]由于担心拍照时自己也会被杀,虽亲眼看见日军在南京励志社残酷杀害大批中国战俘而选择不拍摄下这些血腥场面。[2]在1939年2月到11月跟随南支方面部队拍摄结束后,因生病原因离开了东京日日新闻社。1940年1月以后,担任财团法人写真协会与照相机杂志报道写真编辑部的工作。二战结束后,佐藤振寿了解到迫于战时极严格的新闻审查制度,自己送回国内的照片很多并没有发表。[3]
1954年5月担任大藏省印刷局出版的政府相关杂志编辑。1962年创建了社团法人时事画报社,1970年5月担任该杂志首席主编,1971年10月,时事画报社从时事通信社独立出来。1979年11月退休离职。[4]
2008年9月4日逝世,享年95岁。
日文著作
- 「不許可となった写真たち」『1億人の昭和史 10 不許可写真史』、毎日新聞社、1977年、243頁~247頁
- 「従軍とは歩くこと」南京戦史編集委員会編纂『南京戦史資料集 II』、偕行社、1993年、495頁~641頁
- 「従軍カメラマンの証言」『シリーズ20世紀の記憶 永久保存版 別巻1 不許可写真 1 第2次上海事変から日中戦争へ』、毎日新聞社、2000年4月、204頁
- 「事変下の大陸--従軍カメラマンがみた中国 私の写真を証拠に二人は処刑された」『諸君!』37巻5号、文藝春秋、2005年5月、108頁~113頁
- 「事変下の大陸--従軍カメラマンがみた中国(2)南京へ向け、戦場を歩き続けた」『諸君!』37巻6号、文藝春秋、2005年6月、140頁~145頁
- 「事変下の大陸--従軍カメラマンがみた中国(3)戦場で出会った女性たち」『諸君!』37巻7号 文藝春秋、2005年7月、144頁~149頁
- 「事変下の大陸--従軍カメラマンがみた中国(4)文化人たちが歩いた戦地」『諸君!』37巻8号 文藝春秋、2005年8月、140頁~145頁
- 「事変下の大陸--従軍カメラマンがみた中国(最終回)戦場ほど心に残るものはない」『諸君!』37巻9号、文藝春秋、2005年9月、108頁~113頁
参考来源
- ^ 侵华日军摄影师佐藤振寿回忆 揭秘侵华日军“不许可” (页面存档备份,存于互联网档案馆),金羊网。
- ^ 镜头下的罪恶谎言 揭露日本记者的卑劣伎俩(三) (页面存档备份,存于互联网档案馆),网易新闻。
- ^ 揭露侵华日军罕见暴行图片 (页面存档备份,存于互联网档案馆),爱历史。
- ^ [「従軍とは歩くこと」南京戦史編集委員会編纂『南京戦史資料集 II』、偕行社、1993年、641頁]。