安志藩
安志藩 | |
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日语汉字 | 安志藩 |
平假名 | あんじはん |
罗马拼音 | Anji-han |
创藩日期 | 享保元年10月12日(1716年11月25日) |
所在地 | 播磨国宍粟郡安志 |
藩厅 | 安志阵屋 |
大名家 | 小笠原家 |
伺候席 | 帝鉴间 |
石高 | 10,000石 |
人口 | 10,037人 |
废藩日期 | 明治4年7月14日(1871年8月29日) |
废藩理由 | 废藩置县 |
安志藩(日语:安志藩/あんじはん Anji-han */?)是日本播磨国宍粟郡安志的藩[注 1],享保元年10月12日(1716年11月25日)创藩,明治4年7月14日(1871年8月29日)废藩,石高是10,000石,藩厅是安志阵屋,藩校创建于享保3年(1718年),最初称为学问所,弘化元年(1845年)改称为明伦堂,人口在明治2年(1869年)时是2,596户10,037人[2][3]。
武家屋敷方面,江户藩邸上屋敷在享保年间时位于本乡,安永至明治年间则是小石川富坂下,下屋敷在安永年间(1772年至1781年)时位于本乡追分,文久年间(1861年至1864年)时位于目白台,明治年间时则位于小石川丸太桥[2][4][注 2],藏屋敷位于常安桥[1]。
历史
享保元年9月6日(1716年10月20日),年仅6岁的丰前中津藩藩主小笠原长邕死去[7],虽然一度被改易,不过念在祖上有功(小笠原秀政和小笠原忠脩均在大坂夏之阵中战死),因此江户幕府在同年10月12日(11月25日)下赐10,000石予长邕之弟小笠原长兴,安志藩正式成立,领地是宍粟郡18村、佐用郡10村以及赤穗郡18村[2]。
享保15年3月29日(1730年5月15日),长兴虽然以多病为由上书交还领地,不过未获批准,反而获准收养子。同年6月10日(1730年7月24日),长兴以丰前小仓藩藩主小笠原忠基次子为养子,同年12月11日(1731年1月18日)长兴出家后由其继位,即小笠原长逵。明和9年3月8日(1772年4月10日),长逵三子小笠原忠苗成为丰前小仓藩藩主小笠原忠总的养子。天明7年(1787年),安志藩出兵镇压在播磨林田藩爆发的百姓一揆。宽政6年5月20日(1794年6月17日),藩主小笠原长为次子小笠原忠固成为忠苗的养子[2][8]。
安政2年(1855年)5月,安志骚动爆发,约20名藩士集体脱藩。同年12月28日(1856年2月4日),安志藩奉幕府之命兴建皇居,直至安政4年(1857年)完工。万延元年11月6日(1860年12月17日),丰前小仓藩藩主小笠原忠嘉死去,由于没有嗣子,因此由安志藩藩主小笠原忠干继任,安志藩则由忠干嫡子小笠原贞孚继承。文久3年5月27日(1863年7月12日),安志藩奉命派兵至大坂戒备[2][8]。
元治元年10月1日(1864年10月31日),贞孚率兵前往小仓参与第一次长州征讨,其后在庆应元年5月21日(1865年6月14日)也参与了第二次长州征讨。庆应2年6月17日(1866年7月28日),安志藩与奇兵队交战,并且在同年8月1日(9月9日)败走至肥后国大津[注 3]。庆应3年11月3日(1867年11月28日),抱病的贞孚派重臣前往京都向新政府表示恭顺。鸟羽伏见之战爆发后,安志藩奉命驻守于饰磨津。庆应4年4月20日(1868年5月12日),贞孚谒见天皇,其后在4月26日(5月18日)上洛,并且宣誓勤王[2][10]。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[3]。
历任藩主
家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 领地 |
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小笠原家 | 谱代 阵屋 |
小笠原长兴 | 10,000石 | 播磨国宍粟郡、佐用郡和赤穗郡 |
小笠原长逵 | ||||
小笠原长为 | ||||
小笠原长祯 | ||||
小笠原长武 | ||||
小笠原忠干 | ||||
小笠原贞孚 |
领地
令制国 | 郡 | 领地 |
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播磨国 | 赤穗郡 | 下比村、菅谷村、能下村、三浓山村、留万寺、小野豆村、釜岛村、横尾村、大枝新村、锻冶村、仓尾村、小皆坂村、黑石村、拔位村、市原村、柏埜村、楠木村、国见村 |
佐用郡 | 仁位村、圆光寺村、上栉田村、三尾村、早濑村、山田村、中山村、藏垣内村、大垣内村、本乡村、海田村 | |
宍粟郡 | 盐田村、葛根村、安志村、三森村、名坂村、末广村、栃原村、梯村、田井村、母栖村、须行名村、神户市场村、野田村、能仓村、东川内村、东安积村、构村、杉田村 |
注解
参考资料
- ^ 1.0 1.1 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、热田公、石田善人、落合重信、田中真吾、户田芳实、前嶋雅光、八木哲浩 (编). 安志藩・安志. 角川日本地名大辞典 兵庫県. 角川日本地名大辞典 28 日本文学Web図書館. 角川书店. 1988-10-08. ISBN 4-040-01280-1 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 建部惠润. 安志藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 近畿編 5 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 548–556. ISBN 4-639-10039-6 (日语).
- ^ 3.0 3.1 高尾一彦. 安志藩. 国史大辞典编辑委员会 (编). 国史大辞典. 国史大辞典 1 JapanKnowledge (吉川弘文馆). 1979-03-01. ISBN 978-4-642-00501-2 (日语).
- ^ 东京都 (编). 二 帝都(一). 東京市史稿 市街編. 东京市史稿 49 (东京都). 1960-03-25: 810. 国立国会图书馆书志ID:000001226894 (日语).
- ^ 上屋敷 マップ. 人文学开放数据共同利用中心. [2024-07-29]. (原始内容存档于2022-08-15) (日语).
- ^ 安部晃司、陶木友治、仲藤里美. 安志藩. 江戸三百藩 まるごとデータブック. 人文社. 2007-04: 112. ISBN 978-4-795-91750-7 (日语).
- ^ 小笠原長邕. kotobank (日语).
- ^ 8.0 8.1 牛谷修三、大谷司郎、小田小丸、龟井义彦、熊谷保孝、建部惠润、鸟羽弘毅、中村长吉. 安志藩陣屋跡. 今井林太郎、热田公、石田善人、岩本次郎、浮田典良、地主乔、高尾一彦、直木孝次郎、西谷真治、柜本诚一、前嶋雅光、八木哲浩、和田邦平 (编). 兵庫県の地名Ⅱ. 日本历史地名大系 29 JapanKnowledge. 平凡社. 1999-10-20. ISBN 4-582-49061-1 (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、岩本政教、铃木乔、谷川宪介、花立三郎、原口长之、森下功、森山恒雄 (编). 角川日本地名大辞典 熊本県. 角川日本地名大辞典 43 日本文学Web図書館. 角川书店. 1987-12-08. ISBN 4-040-01430-8 (日语).
- ^ 伊东成郎. 安志藩. 新人物往来社 (编). 三百藩戊辰戦争事典 下. 新人物往来社. 2000-01-25: 119–120. ISBN 4-404-02822-9 (日语).
- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2024-07-16]. (原始内容存档于2020-11-25) (日语).
外部链接
- 安志藩. kotobank (日语).